外国崇拝(がいこくすうはい)
この間まで元気だと思っていた人があれよあれよという間にいなくなったり、
寝たきりになったり老人リハビリセンターに移動したりした。
冬から春の変わり目はやっぱり自然のうごめく時で、
木陰に走るトカゲたちや幹のむきだしの肌に木の芽を連ねる樹木だけじゃなくって、
人間も、風邪を引いたり体調を崩したり熱を出したり、
弱っていたらその影響を大きく受けたり、するのだろう。
寒さのおかげか1・2月とずいぶん集中できた私も、
3月暖かくなってくるにつれて
気持ちがゆるんできたような、眠くなってきたような、でも同時に
首が固くなってしまったり、気持ちが散まんになり
やらなくてもいいことをいくつもやってみたり、
春が近づいているんだからそんな自分の変動もしょうがない・・と
数日かかってやっと思い当たる。
1月の末に、久しぶりに会ったリナと散歩した時は、
夜道が霧でいっぱいで10メートル先も見えないほどだった。
霧の湿り気で寒さもいっそう体に冷たく感じる。
何も見えない!とふたりでいいながら、パン屋まで歩いて、
安売りスーパーに寄って豚肉を買って、
前日のクスクスを温めて食べたのだった。
その時から考えれば今は、サマータイムで1時間時計の
針を遅らせたせいもあって、夜の8時でもまだ明るい。
日光にあたってじっとしていると、風がなければ暖かい。
ハイな時期とローな時期を交互にくり返すリナは、
1月に電話してきた時は、まだローの最中にあった。
何度か電話しても出なかったり、
携帯メールにも返事が来ないから、予想はしていた。
「散歩に行かない?」と携帯に聞こえてくる声がその日必死だったから、
気持ちが落ちている時は確かに一本の電話さえ
決意がいることが、私にも思い出された。
冬と春を(春というよりもむしろ夏を)早いスパンで交互に経験する彼女は、
私の春への脱皮がもぞもぞと心地悪いなんてほどではないだろう。
それでも、履歴書を書いて送ったり面接に行ったりしているうちに、
小学校の遠足を引率する単発の仕事を見つけたから、えらい。
今年から、うそっこのおつきあいに私がある量以上興味を持てないと
友人たちが悟ってくれたせいか、余計なぐちや中傷を聞いたりして
無駄に時間を使うことが少なくなった。
さみしいような気もするが、これでヨロシイとも思う。
同時に、最近ブラからトリノへ引っ越したミレラのうちに一泊寄せてもらった時、
彼女がいちばん親しい女友達に愚痴をこぼしていたら
「怒られた」という。
友達にさえそれができなかったら誰に言ったらいいわけ?
いつも同じ文句をくり返しているのは自分だってわかっているけど、
それ以外の在り方ができないのは自分だって悔しいんだから、
「とれない通信簿の点数をとれって言われたようなかんじ」。
確かに彼女の言うことも一理あって、
友達だったら「通信簿の悪さだって引き受ける」って態度が、
(寛容さというのか?)必要な場合もある・・・。
(私の通信簿の悪さは、どのように引き受けられているのだろう?)
彼女の家にはトリノの映画館で夜遅く終わる映画が見たかったら
泊めてもらったのだが、
満席なのは活気があっていいものの、活気がありすぎるぐらい
上映中に皆よくしゃべる。
テーマが19世紀の「イタリア統一」でよく知られた映画だったから、
それぞれに言いたいことがあるのはいいけれど、お祈りのシーンに、
いっしょに客席からお祈りを唱えるおじいさんには
始めてお目にかかった。
あまりにうるさい人には、「シー!」という声が飛んだり
「静粛に!」と言ったりあの手この手がつくされるけれど、
よっぽど映画が面白くなってこない限り、たいてい無駄に終わる。
(確かに怒られると、かえってしゃべりたい気分をあおるのかもしれない。)
それに対してミレラによれば、「セキがきく」。
ゴホゴホッ!ゴホゴホッ!と正面むかってわざとらしくせきをするのだ。
そんな風にかしましかったり、怒鳴るようにまくしたてて話したり、
いらないことをただくり返したりする、
ある意味イタリア語の表現性からくる特質なのかもしれないけれど、
それが鼻について(耳について)うるさく感じられた時に、
映画館近くのフランス書籍専門店に入ると、
なんともつつましい品のある空気が流れていて、ひと息つく。
1月の末にリナが「フランス語なら、いっしょに勉強してもいいよ」と言った時、
ようやく上空からオーケーが出たような気持ちだった。
数年前からフランス語に手をつけてみたかったけれど、
イタリア語さえしっかりできていないうちでは混乱しそうだったし、
適当な先生も見つからなかった。
外国の言葉を勉強するのって、
——久しぶりに「住む土地以外の言葉を学ぶ」私は思う——楽しいものだ。
1日5分でも、その時間は旅行しているような気分だし、
今いる場所のもろもろのしがらみやムヅカシイことなど忘れて、
「あなたのスカートはどこですか?」
「いすの上を見てみて。そこにあります。」
なんて会話に頭をひねっているだけで(最初のうちは)いい。
発音さえ違うから、いつもは
注意もせずに使っているくちびるや息、口の形に気持ちを集中させる。
Je ”ジュ”=「私」の音が腹の底からなかなか言えない私に、
リナが「ノー!!ジュウウ!」と
何度も訂正してくれるのだが、こればっかりは合格点がなかなかもらえない。
「ジュの歌を歌えばいい!」と彼女が言うから、
「ジュの歌って、何?」と聞くと、
「ジュ、ジュ、ジュジュジュジュ・・・・!」と即興を始めた。
ここピエモンテ州はフランスと距離が近く、
期間の長さはさておきフランス経験のある人が少なくないせいか、
何かしらここでうまくいかないことがあると
「フランスだったら!」というセリフを聞くことがある。
この集合住宅で火事があった時も、
「フランスだったら、一晩すぐにホテルを用意してくれて
住民がキャンピングカーで寝る事態なんか避けられただろう。」
イタリアの電車は遅れるしうまく動かないが
「フランスだったら、そんなことはない。自転車だって安価で乗せられる。」
フランスからイタリアに移って来たアフリカ系の人たちは
「フランスの方がよかった。滞在許可証の事務手続きも整っている。」
映画関係では「イタリアにはまとまった金を動かせるプロデューサーが少ない。
しかしフランスにはたくさんいる。」
それらの言葉がどこまで現実で、
どこまでふくらんだ話なのかはさておき、
イタリアでいろいろなことがうまくいっていないのは、事実だ。
今に始まった話じゃないのかもしれないが、今うまくいっていないだけでなく、
これからもっとうまくいかなくなるような兆しがいよいよ見えているから、
人々が悲観的になるのも根拠がないことじゃない。
請求金が正しいかどうかさえわからない電気・ガス代、理不尽な税金、
パンからガソリンまではねあがった値段、数週間待たされる病院での検査、
回収のうまくいかないゴミ、老人介護は自費、アリタリア航空の売却・・・
個人的なうらみつらみで政局が一変し、あれよあれよという間にまた選挙・・・。
「イタリアが大好き!」で引っ越したわけではない私は、
特にショックも落胆もしないけれど、
さすがに最近は、「こんな国に移住して、後悔しないわけ?」と私に
聞く人々に答える言葉もない。
いくらブラが自分の場所だと思っても、
「もし将来ここで自分の仕事ができなくなるんだったら、
他へ行くしかないだろう」と2月にある人に話していたのは、
なまじ「仮の話」ではなく、いつか現実になってしまうかもしれない。
実際そうやってイタリアは、少しずつ若い人を失っていくのかもしれない。
そうかと思うと、ブラにある2つの大きなラミネート工場のうち、ひとつは、
最近オランダ資本に買い取られた。流れ出て行くだけじゃなくって、
中でも、大切な部分が溶けていっている・・・。
フランス書籍店の女性に勧められた60年代の古いフランス映画を2本見た。
1本は美しく静ひつな世界だったけれど、
もう一本は正反対にうるさくかしましかった。
結局はそこもここもそうは変わらないわけだ・・・!と忘れていたことを、
映画館の席から立ち上がりながら思い出し、苦笑する。
フランス語だって、今は内容がわからないから音楽のように聞こえるけれど、
ひとことひとことわかるようになったら、イタリア語のかしましさどころか、
ひどく理屈っぽくて耳につくんだろう・・・と予想する。
マルセーユを舞台にした最近の映画では、
港町の人々のゴシップぶりがブラ以上に「筋金入り」で、
それでも最後には助けあってしまうところが、どこか似ていた。
「絶対イタリアから出たい・・!」とくり返す20代の写真家に、
老いた30代の私はつい、「かといって、他の国ですべてが
うまくいっているってわけでもないと思うよ・・・」
とつぶやいてみたりもする。一方で、ブラで家族親戚友人に囲まれて
快適に過ごしている若者には、「外に出たら?」なんて言いたくもなる。
くりかえすくしゃみと鼻水、体のこわばりに衝撃を与えるように3月半ば、
高熱がやってきて、ぐったりと放心した。そのおかげで、大改革をしたように
冬の体勢もぬぎされて、新しい在り方になったようだった。
イタリアにも高熱がやってくればいいのに・・・そうでなければくしゃみと鼻水だけで
中途半端に不快が続くだけで、いつまでもぐじゅぐじゅと変わらない。
「イタリアに住んでるなんていいなあ」と言われると、
「何が」実際に、いいのか?と問いたくなる。
来週の選挙に向けてくりひろげられている街頭演説などに出かけるから
(選挙権は悔しいけれど、ないです)、
余計思いめぐらしてしまうのかもしれません。
日本の新しい季節は、どうでしょうか?
脇山美伸