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変わりめ

ブラはここ1週間ほど暑い日が続き、夏が少しだけもどってきたかのよう。
1週間前は雨が降り続きセーターを着なければいけなかったのに、
季節の変わり目とはいえなんだかはっきりしない。

スーパーマーケットの野菜売り場も、市場の青果売り場も、
ちょうど夏と秋のはざかい期で、
いったい今は何を買えばいいのか?ズッキーニは終わりかけで高い上にそうおいしくないし、
かといってかぶやカリフラワーを食べるには暑すぎるかんじがする。
夏の間、クラウディオの畑のトマトやズッキーニ、知り合いのおじさんの畑のキャベツ、
誰かの庭のプルーンや桃などさんざん堪能させてもらったけれど、
それも秋冬の間しばらくお休みだなあ、と思う。

8月の頭、電気屋さんのアルマンドは既に「秋モード」で、
哀しそうに、「ブラを出て行かなければいけない」と私に言った。
彼の働いていた電気屋Tは、アルバに本店があり、
会社が南部の州の別会社に買収されて、彼のいる電気店は閉鎖になるという。

アルマンドと私が知り合ったのは、店と同じ通り沿いに住んでいた移住したばかりの頃で、
まだ耳にするイタリア語もほとんどちんぷんかんぷんな状態だった。
確かVHSのカセットテープを買いに行ったのか、延長コードを買いに行ったのか、
彼が「何か聞きたいことがあったら、なんでも聞いてね」と行ったのを、
そっくりそのまま「何か聞きたいことがあったら、なんでも聞いてね???」
とおうむ返しにリピートしたから、アルマンドは吹き出して笑っていた。

買い物するたびいつも大幅割引してくれて、こんなに引いて大丈夫?と心配になるほどだった。
そんな商売っけのない彼だから、ブラのおじいさんおばあさんたちが「電球の変え方がわからない」
「テレビのリモコンが動かなくなった」と言うほどのことでも、
おうちまで行って電池や電球だけ変えて帰っきていたらしい。

イタリアのこんな小さな町にも、大型スーパの波はやってくる。
ブラはずれの空き地にも大型センターが建築中だし、
ショッピングセンターではテレビやアイロンやDVDプレーヤーまで買えてしまうから、
日曜日に車で買いものに出かける人も多い。
アルマンドがしてくれるようなアフターケアーは、ショッピングセンターで買った品物にはないけれど、
すべてのものが値高く感じられる最近では皆少しでも節約したい。
私のアイロンだって激安5ユーロのおもちゃまがいの製品だ。

そんなわけで彼も、いつかはブラを立ち退くことになるだろう、と予感していたらしい。
けれどもあまり突然にその時がきたので、
私もアルマンドもいささか呆然として、最後の時期を惜しむひまさえなかった。

よく彼の昼休みにいっしょにご飯を食べたり、
アルマンドがおうちに帰って昼ご飯を食べる時に、
ブラから車で30分ぐらいの彼の住むフォッサノという町まで行ったりしていた。
そういえばこの頃はお互いにゆっくり時間がとれないことが
多くなっていたから、今はもう4歳の娘のアリアンナが、
「なんでミノブは最近うちに来ないの?パパのお店に遊びにくるから?」と、
(アルマンドによれば)”論理づけて”聞いていたらしい。

3年前と今では、ものごとがそう変わっていないように一見思えるけれども、
けっこうブラでもいろんなことが変わっている。
ブラの目抜き通り(80メートルほどで終わる)にあるカフェは、
1軒はおばあさんが亡くなったのを機に内装チェンジ、1軒は経営者交代で
若者風のカフェに、もう1軒も経営者交代で1800年代終わりから続いていた美しい木調の内装を紫色の壁にして若者風カフェになった。
若者風になっていくのは、経営者が
若返るからあたり前のことなのかもしれないけれど、自称おばあさん娘の私は
前の方がきれいだったなあ、なんて残念がったりもする。
(ブラの若い人たちは、今の内装の方が気に入っているようで評判はいい。)

そういう気配は、10年を越えて再訪したベルギーではさらにはっきりと感じられて、
特にブリュッセル郊外の緑地がすっかり住宅地化していたのには、(予想はしていたけれど)
驚いた。あの時いた羊たちはほとんどいなくなって、たくさんの人が今は住んでいる。
変わっていないのは、大きな池とそのほとりにある古いスポーツセンターで、
そこには夜の21時になってもバレーボールやバスケットボールをしている地元民たちがいた。
スポーツセンター付属のカフェも、ビール位しかない素っ気なさが変わっていなかった。

一方「あんまり変わらない人」もいる。
その住宅地に訪ねた知り合いのおじいさんおばあさんは10年前と
ほとんど変わっていず、それどころかさらに元気なように見えた。
ふたりとも、よく聞いてみればもう80代である。
おばあさんは10年前フランス語しかしゃべれなくて、私はほとんどおしゃべりができなかったのに、
今では英語を習得し「天気が良くないわね!」等自然に英語で話しかけてくれる。
この10年間の間に彼女はだいぶん勉強したのではないだろうか?
だんなのボガートさんはとても不思議な人で、
「映画の登場人物のようにシュールな人」とディーノが言ったようにどこか浮き世ばなれしている。
そう思っていたらやっぱり、「30年前に手相の本を書いたんだ」と将来を占ってくれた。

「どうやって手相を勉強したの?」と聞くと、「自分で勉強した」という。
かつ、昔はビジネスマンで、イタリアにも40回ほど行ったらしい。
彼は見つめる目に特徴があって、言葉を発する前に必ずひと呼吸おくから、
話しているとどぎまぎすることがある。

違う国を見てから自分の住んでいる所を見て、新たに気がついたことは多い。
ベルギーやオランダでは、横断歩道で必ず人を優先してくれたのに、
ブラでは半分以上が車がぶっちぎっていく。
母親が子どもをどなりつけているのは、ここでは珍しくないけれど、
そういえば旅行中はどなっている親を見かけなかった。
ベルギーのある駅では、広い待ち合いホールで子どもが3人走り回っていたが、
母親がいちどだけ呼び寄せて注意しただけで、後は迷惑をかけない限り黙っていた。
バスや電車の中などで携帯電話で話している人は全然いないし、イタリアほど町に携帯電話の店がない。
逆に、イタリアでは生野菜のサラダが安価でメニューに並んでいるけれど、
北に行くほどサラダは値がはって、軽々しく注文できない。
パンは、イタリアよりもベルギー、ベルギーよりもオランダ、と黒くなっていき、オランダのパンとなるともうパンだけでこと足りるような養分のある黒さだった。

「どうしてイタリア以外の国ではパスタが生まれなかったんだろうね?」
帰って来た日の夜ご飯に、さっそく待ちかねていたパスタを食べながら、
ディーノとそんな話をしていた。
もちろん、今やベルギーでもオランダでもスパゲッティはメニューにあるけど、
伝統食としてパスタがあるのはイタリアが一番だろう。
ヴェスナのお母さんは、クロアチア特製の手打ちパスタ「ピューカンツィー」を作ってくれたから、パスタがあるのはイタリアだけってわけじゃない。
とはいえ、例えばこんなに近いスイスにはパスタ文化はない・・。
スイスは山ばっかりだから麦畑がないのかもしれない。それとも、パンの方が日持ちがいいからだろうか?ライ麦しかできないような寒い土地では、小麦粉は高級品だったのだろうか?

3年前の10月からブラに住み始めた私は、この秋から4年目に入る。
旅行中にパスタがなつかしくなることこそないけれど、
今や普段の生活で日本食を食べた次の日はパスタが食べたくなる。
そう高級なパスタを食べているわけでもなし(どちらかと言えば安いパスタを食べている)、
手がこんだソースで食べることもほとんどない。
手近な野菜と一緒にゆでてオイルをかけて食べているだけだ。
慣れてしまうというのは恐ろしい。

それでも、3年たってもどうしても慣れないものは、緑の色が違うことらしい。
雨の多いベルギーから帰って来てあらためて思ったのは、
ここの土地はだいぶん乾いていて、緑は少しぱさついたかんじがするということだ。
美しき丘陵地帯のピエモンテ州であっても、雄大な自然のトスカーナであっても、
心のどこかで日本の自然の色・ツヤを求めている自分がいる。

その欲求不満が1日だけ解消されたのは、通りかかったベルギーの南東部、ワロン地方だった。
雨がしとしと降っていて(どうしてかブラでは”しとしと”というかんじがしない)、
森や丘の雑木林はまったく日本のどこかのような色をしていた。

帰ってくれば、ヴァカンスあけの現実が待っていて、
テレビでもラジオでも町中からも
「休暇が終わってしまった!」と嘆く声が聞こえてくる。
アルマンドは店を片付け始め、ディーノは仕事に戻り、
海から帰って来たトニーとヴェスナも早速様々な心配事に頭を悩ませている。
私はといえば、なんとなく4年目の風向きが変わってくる気配を感じながら、
書かなければいけないことが書けずにいらいらしたり、映像の細かいチェックにてこずったり、
新しい仕事の話などに驚いたりしながら、夏を終えようとしている。
唯一顔をしかめず楽しんでできることといえば、
秋にやる市民料理講座のレシピ書きぐらいか・・豚汁や親子丼について考えるのは楽しい。
それでもコワイ顔ばかりしてはいたくないので
なるべく笑うようにしなくっちゃ・・と週末の老人サークルのダンス会にも顔を出した。

最近そのサークル会員のあるおじいさんが死んでしまった。
私にとってはおじいさんというよりおじさんで、
高齢者という言葉がまったくふさわしくない会員たちのひとりだった。
フランキーノが死んじゃったよ、と会の世話役のジョルジョに言われて、
何歳だったの?とびっくりして聞くと、76歳だったという。
フランキーノはいつも私の顔を見れば、まず「ミヌ!」と大きな声で言い、
ふたこと目には必ずいやらしい冗談を明るいトーンで言う人だった。
60代でも十分通っただろう。

教会のお葬式で、他のじいさんたちの死に慣れたかんじや落ち着いた様子を見て、
変わっていくってことに強くなくっちゃいけないなあと思う。
アルマンドはトリノに働きにいくことになったし、フランキーノは死んじゃうし、
ベルギーの牧草地は住宅地になるし、良きにしろ悪きにしろ、または良くも悪くもなく、
時がたつということは何かが変わっていくということだ。

じいさんたちは長く生きた分だけ変化っていうものを知っているんだろう。
どちらかといえば変化に満ちて生きてきたような私が言うのもなんだけれど、
やっぱりどこかで脱皮や”展開”は怖いものだ。

「ブラにはもう”お客さん”として来るよ」と店終いまぎわに言っていたアルマンドに、
「アルマンドはいつもアルマンドでしょう・・」と励ましたつもりだった。
それがことの運びがよかったのか、一週間に一回はプレイステーションの補充のためにブラに立ち寄ることが決まったと聞いた。(新しい仕事場はおもちゃ売り場なのだ。)
今までどおり、時々はいっしょにお茶を飲んだりすることもできる。

来月には久しぶりに映画祭に呼んでもらうことが決まり、1年ぶりにまたサルデーニャ島へ行くことになった。
ここ1年はブラの生活が落ち着いたこともあって、よその土地へ行くのがおっくうな気もしていたけど、
出不精になってはいけないなと反省していた時だった。


たまには短いブラ通信も良いものですね。明日から1週間ローマ行きですので、
コメントして下さったら、帰ってきてからお返事します。
おいしい日本の秋の味を堪能してください。

脇山みのぶ

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コメント

久々だね。来月は会えるの楽しみにしてるよ!
なんか、フランキーノじいちゃんは亡くなってしまうし、アルマンドも居ないのか・・・寂しい・・・

季節の変わり目&激務で風邪ひいちゃったよ。早目に治さないと、イタリアまで持って行きそうです。
お米&お風呂の日本パワーで体力戻さないとです。

コメント送信に失敗したようです。思わず「ワアアァ」と叫んでしまいました。テスト送信後、また発信しなおします。

すっかりイタリアの人になった感じ、頑張っているんですネ。ブラ日記を何度か拝読している内に、何かしらこの街を訪問したような錯覚に陥るのは、あなたの文書力のなせる業か。ヴェスナ、トニー、ディーノ、ボガード、そしてアルマンドと活き活きとブラの街を闊歩している姿が見えてきます。あなたは、ドキュメンタリードラマの映画監督をお薦めします。ほんと

 秋分の日の翌日、琵琶湖の一望できる小高い丘にある、我家のお墓にお参りに行きました。途中の堅田農協で花を求めましたが、ここの商店街が同じような80mあまりの道路に面してあります。近年、私鉄に換わりJRが開通しましたが、それと同時に堅田駅も商店街から離れた位置に移動した為、街は寂れる一方です。近江八景の一つ『堅田の落雁』で知られ、米を浪速へ運ぶ湖上運輸の拠点として栄えるなど、様々な歴史に彩られた堅田の商店街も、今や過去の繁栄と言うプライドで支えられたわびしい姿を留めています。何かしら、ブラに似通った様な感じもしませんか?

 アリアンナはおしゃまで可愛い四歳の女の子。娘の孫も、二歳「のん」と四歳「ゆう」のギャング達。特に「ゆう」は知識欲旺盛な年頃になり文字に興味をもち出しました。
看板などを見ると「あれは何て書いてるの」と質問攻め。今では童話の絵本も何とか読めるように。おそらくアリアンナも同じなんでしょう、そんな彼女ともお別れ、寂しいですネ。

 最近は電化商品も丈夫になり、保証書も必要ないくらい故障知らず。アフターケアーのない大型店で購入しても不便を感じなくなりました。日本も大型店に圧されて小売店は消えていく一方です。でも、松下電器は小売のナショナル店を大事にしています。松下イズムとでも言うのでしょうか。全国のこうした商店の二代目等の若者を、滋賀県にある松下研修所に集めて、一年間の合宿研修を毎年実施しています。
 ユニークなのは、この研修に茶道を採り入れている点です。家内が毎年「教授」として教えています。卒業間近に三者懇談会があり、そこで生徒がお茶の手さばきを披露します。親御さんもそんな息子の姿を見て感動するとか。それでかどうか、電気製品はナショナル店で買えと家内は私を突付きます。

 イタリアは日本と国民性が良く似ていると思います。車の運転でも同様です。最近、福岡で飲酒運転の車に追突された親子五人連れの車が橋の欄干を突き破り海に転落する事故が発生。加害者は助けるどころか、逃げて、水をがぶ飲みしてアルコール検出逃れを画策。両親が幼い子供三人を何とか車から助け出しましたが、結局助かりませんでした。この事故を契機に、全国で飲酒運転撲滅運動中です。でも、熱しやすく冷めやすい国民性ですから、どこまで成果があるかは疑問です。

 中国も荒い運転では有名。北京の近郊にある『明十三陵』(明代13人の皇帝の陸陵)へ行く途中で、トラックが農民をはねて死亡する事故に遭遇しました。運転手は横たわる農民を見下ろすだけ。現金収入に乏しい激貧にあえぐ農民にとり、残された家族は補償金収入が見込めるので安堵しているのか、とかんぐりたくなる程平然とした感じでした。いま、中国共産党にとり、国内問題は「農民一揆」が一番の関心事、心配事だというのもうなずけます。

 外国に暮らすと、知らず知らずの内に「日本の色を求めている」と言う、ウンウン分かるナー。雨一つ取っても、穀雨、春時雨、杏花雨、春雨、五月雨、喜雨、霖雨、露時雨、初時雨と様々な呼び方をする日本ではその一つ一つが体感でき、しかも季節ごとの雨の微妙な移り変わりを理解できますものネ。

 トスカーナのヴァル・ドルチャは北海道のラベンダー畑で有名な富良野をイメージします。ピエモンテ州にクルマイヨールは在るのでしょうか。ここから眺めたモンブラン山隗群は、丁度、長野の安曇野から眺めた白馬連峰を彷彿とさせ、心をときめかせました。

 日本も味覚の秋に突入。山菜、キノコ、くり、梨、秋刀魚、そしてナス。ナスはオリーブオイルやにんにくとも相性が良く、マッシュルームやトマトの味も引き立てますネ。『秋茄子を嫁に食わすな』(イタリアのお友だちには内緒)と、いじましい諺が日本にあるくらい美味しいです。もっとも、今では秋ナスが女性ホルモンに良い影響を与えるそうで、むしろ女性こそ秋のナスを食べるべきだそうですヨ。
 キノコ類をあえたパスタも、アァーたまんない。タリアテッレは名古屋のきしめんだし、スパゲッティはうどんや素麺でしょう。パスタは300種類もあるそうですが、イタリア料理は日本人の舌に合いますネ。
 同様に中華料理の餃子も300種類在るそうです。楊枝を使って具を包む小指の先程の真珠餃子から、どら焼きのような水餃子まで、どれを食べてもあきません。世界のどこへ行っても、イタリア料理か中華料理を注文すればまず満足できますネ。

 最後は食べ物の話になってしまいましたが、季節の変わり目、体には充分に注意してお互いに秋を満喫しましょう。

 

コメントどうもありがとうございました。脇山です。

サトゥさん、イタリア来訪準備は進んでいますか。
麹持ってきてもらうの、よろしくね。
冷暗所保存だけど、イタリア国内移動ぐらいなら大丈夫だと思う。
ブラまで来て一緒にお味噌作り・・なんて強制はしないからご安心を。

原さん、松下のお茶研修とはおもしろいですね。
お茶の稽古仲間で「男の人の手前を見ている方が気持ちが落ち着く」
と言った人がいました。
確かにお茶は、昔々武将たちや僧侶、商人がやったもので、
自分でやっていても動作などに「男の世界」を感じます。
気の配り方や気持ちの落ち着け方などは、
きっとビジネスの世界でも役に立つでしょうね。

堅田の商店街のお話、日本の地方商店街が思い出されます。
ブラはそれとは実はほど遠く(確かに小さい商店たちは苦労をし始めていますが)、
人気のある肉屋なんかよく満員状態になっています。
パンをスーパーで買う人が増えても、
やっぱりパン屋にはお客さんが絶えません。
話好きの国民性としては、店に行ってお話したり店の人と会うのも
やっぱり根強い習慣なのでしょう。
ブラは牛の生肉ソーセージが特産品ですが、
それだけはどの人もスーパーでは買いません。新鮮さが命ですから。。
そういう「負けない商品」があることが、肉屋繁盛の秘密とも言えます。

秋刀魚、いいですね・・。鯖で我慢しようかな。
こちらは鯖は安いんです。
切り身は売っていなくて一本売りです。実はまだ試したことはないんですが・・。
それではまた!
脇山みのぶ

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