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冬がきて

このままでは月刊どころか「季刊」になってしまう、
既に前回10月に書いてから3ヶ月もたってしまい、年が明けた。
10月半ばから1ヶ月だけ日本に帰り、今年の暖かい秋は私にはまるで温帯のようで、
少し歩けば汗をかいてしまう程だった。

すべての家具が小さく見えたり、机やいすを低く感じるのは西欧から帰る人にとって
当たり前のことらしいけれど、一年も日本に帰っていないとたくさんのことがショッキングにうつる。
市役所や税務署で手際よく事が運び、5分で書類の手配が終わること。
宅急便が一日で届き、配達のお兄さんが「今からうかがってもよいですか」と来る前に電話をくれたこと。
松戸の小さなスーパーマーケットで、ブラでも買ったことがないようなパスタの袋があること。
誰かのイタリア旅行みやげの高級オリーブオイルが、実家にあること。
本屋に行けば、万というよりどりみどりの雑誌があること。

そんなことより、今となってこれが一番、と思い出されるのは
実家近くの寺の参道で風が吹く時、葉っぱのこすれる湿った音だと思う。
さらさらという音が、どうやってもここでは出ないような音がして、
そば屋や鮨屋に行って「日本だなあ」と感じるよりも、
そういう音が「日本だなあ」と思わせた。

何にも変わってないねえ、とドアを開けるなり言う私に、
「そうよーおばあちゃん以外はね」母が言うのにどきりとするが、
そう言うほど祖母は悪くなっていず、「帰ってきたよー」と大声で報告したのも解ったのか解らないのか。
一日二日はそれさえもはっきりしなかったが、食事の介助をしたりし始めると、
さすがに寝たっきりになった祖母も、孫が帰ってきたらしいことは理解したようだった。

88歳のうちのおばあさんは三重県を5年前に出て、
千葉の私の実家に暮らすようになったけれど、
やっぱり海の風は恋しいんじゃないだろうか。

3人のヘルパーさんが入れ替わり立ち代わりやってきて、週に一度は巡回お風呂サービスが、定期的に訪問看護婦さんも来てくれる。
ほとんどが介助保険でまかなわれていて、負担する額も相当
少ない。イタリアの老人介助がすべて個人負担で、
「バダンテ」と呼ばれる個人契約のヘルパーさんがほとんど移民の女性だという事情とは全く違う。
(バダンテには労働権利の保証なんてない)
日本にはうまくいっていないこともいっぱいあるけれど、
介助保険はうまくまわっている制度のひとつかと思った。

それでも働きながら介助している母は夜の間ひとりだし、土日祝日はヘルパーさんがいないのでかえってきつい、と言う。きつい、とは実際言わないけれど、タイヘンそうなかんじが
伝わってくる。こちらにいると電話では絶対に愚痴を言わないし、
周囲に手伝ってほしいとも言わない人なのでかえっていつかポキリと折れないか、
心配だけれども海の向こうだからなんともできず。

9月の移動放牧の編集、10月にトリノ映画祭の選考のための映画館上映があり、それが終わると
やっと20代〜30代の10年間がひとくぎりついた気がした。
(といっても今31歳だから、一年遅れなのだけど)
随分と荒波さざ波の20代で、他人にも
いっぱい迷惑かけたなあ、なんて思い返し、10月初め一気に寒くなったブラで一時呆然とした。
自分のことも随分追い込んだし、私も決して楽ではなかったけれど、周りの人だって大変だっただろう。

そのおかげでここまでたどりついていた、という幸運はあるにせよ、
これからは「馬力とやる気」だけではやっていけないし、通用しない。
体力だってもう持たない。
この先人生ももう長くないし、結構しっかり考えないと
死ぬときに後悔することになる、と予感した。
それも、20代みたいに「自分のため」だけではだめで
もっと自分の社会的位置、自分のやっていることがどの様に周りに影響を
及ぼしているかとか、築く山の裾野を広げていくようなことをしないと駄目だなあ、と(山が築けているかどうかはさて置き)思った。

それは、いいにせよ悪いにせよ、「ひとりではないなあ」ということなのかもしれない。
誰かに助けてもらうということは、ある場合「迷惑をかける」ということでもあるし、「迷惑をかける」ということも一歩間違わなければ「助けてもらう」の線にとどまれる。
20代はそこのところの線引きがわからずに、「助けてもらう」が「迷惑になる」ことも多いけど、
実際そういう風にしか学べないこともあったりする。
ひとりでないということは、絶対にお互いに無傷ではないし、どこかで傷つけたり間違ったり
しあいながら進むことで、その中で何がどれだけ共有できるか、という
ことなのかもしれない。

そんなことを考えつつ、11月半ばにこちらに帰ってきた。
古い車をもらい受け、名義変更、車の点検、穴のあいていたパネルをふさいでもらったり、
中古タイヤを探したり、これも随分ブラの人に助けてもらった。
クリスマスは、クリスマスらしからぬひっそりとした空気で、
どの商店も「今年はウチ、まだクリスマス始まってないよ」
と口々に言う。ようやく寸前の23日頃に、売り上げも伸びてきたらしい。
ヴァカンスを控えた人が多い分だけ、かえってトリノのような街は休日にぎわい、
歩道を歩くのが大変な時間もあった。
景気が悪い悪いと言っても、24日から26日にかけて3日間食べ過ぎることのできる食状況なのだから、
世界的に見ればまだ良い方だろうけど、なんとなくみんなの気持ち的には下り坂なクリスマスだったと思う。

イタリアと言えば、マンジャーレ、アマーレ、カンターレ(食べる、愛する、歌う)、
「国民総愉快」みたいなイメージがあるけれど、実際はそんなことない。
最近労働ビザを取った私も
税金のことなど生活にふくめ始めると、「イタリアは居心地いいけど、居心地悪い」と言ったあるブラの
女性の言葉の方がしっくりくる。

いっぱい働いても税金で持っていかれる、国民老齢年金は
一ヶ月に3万円程度も払わなければいけないし、それもこの先イタリアに住もうが住むまいが、
私たちが老人になった時にイタリアの若者が少なくて年金をもらえなかろうが、
今全ての人が払わなければいけない額が「月約3万円」なのだ。日本の月1万円で文句を言っていた頃がなつかしい。それでも今、老人に介護の保証があるわけはなく老人ホームに自費で入居するか自前でヘルパーを雇う。30年先に事情がよくなっているとも思えない。

なんとかその月3万円(実際はまとめて年に2回払う)を軽減できないか、と四方八方聞き回り、
10中8、9もう無理という時、友達のヴェスナからやっと朗報を聞いた。
「去年税金払ってた時、インプス(イタリアの年金のこと)払わなかったよ」
 
どうやってやったの!教えて!と言うことで彼女の会計士さんの事務所へ行き、LIBERO PROFESSINALISTA
(リーベロ・プロフェッショナリスタ)=フリーランスのある職種にだけ与えられる、年金支払い軽減制度をやっと見つけた。

彼女が払わなかった、というのは、納税者番号をとって絵画教室をやっていたヴェスナが、結局収入を報告せずにヤミで儲け、結果としてインプスどころか税金も払わなかった、ということ。
いくらリーベロ・プロフェッショナリスタのカテゴリーでも、収入額の18%は年金を払わなければいけないから、もし報告をしていたらいくらかは年金を払っていたことになる。(税金は、高い分だけ抜け道を探す人が多いらしい。)

それでも、収入の額にかかわらず年に36万きっちり払わされる一般支払い額よりは大分楽になる。その情報にたどりつくまでに随分時間がかかったが、あきらめなくてよかった!と
会計士、ベッペのオフィスで思った。

彼の言うところには、「リーベロ・プロフェッショナリスタ」とは、
「誰かの言うなりにではなく、自分の思うように仕事をする人」と規定に定義されているそうだ。
例えばある人が、「●●を撮影してください」と注文した時に「これこれこういう風に撮って」と言われて
そのまま撮るのは「リーベロ・プロフェッショナリスタ」にならない。「専属カメラマン」や「●●社所属のカメラマン」になる。しかし、「●●を撮影してください」を「それでは好きなようにやります」と言うのが、リーベロ・プロフェッショナリスタ、だそうだ。

その説明を聞いたとき、なんとなくその一風変わった定義、とらえ方に笑ってしまった。
リーベロ(自由)ということをわざわざ認めてくれているのは、さすがというのか、律儀というのか、西洋らしいような気もする。
フリーランスという危うい立場をきちんと支持し、応援してくれている気もする。
税金が高かろうが、政治がひどかろうが、
イタリアという国の良さがそこにちゃんとあるような気がした。

それでも「自分の好きなように」の責任のどれほど大きいことか。
12月に入って、昭和天皇に関わる記事を書いていて、特にそう思った。
知らなかったことが多すぎるだけでなく、知らなかったでは済まないことも
たくさんある。そして最後には結局「自分がどう思うか」なのだから、やっぱり
「リーベロ」なのだろう。

2005年の最後は年越しそばを4人で食べた。
クリスマスの方が新年より重要なイタリアでは、大晦日に友人で集まって、
朝方まで飲んだりする人も多い。レストランやワインバー、パブなどは
大騒ぎになるから、「静か派」はおうちで集まっている。
そばを食べないとなんとなく年越しにならないから、
粉を見つけて打つしかない・・と思っているところ、たまたま秋に船便で本を送った荷物が届き、乾そばを2袋見つけた。箱に入れたことさえ忘れていた。

早々と20時から鶏肉のサラダを食べながらおしゃべりに来たヴェスナ、
映画館で働くトニーは23時30分に映写を終えて走ってセーフ、私も老人会が踊っているのに挨拶に行って戻り、走り込みセーフ、最近私がつきあっているディーノ氏宅に集う。

暖かいそばの方が受け入れられるかと思ってだしをたくさんとったら、
目を離しているすきに煮立ててしまって苦みが出てしまった。
残り少ないかつおの厚削りでとれただしではつけ汁を作るのが精一杯で、
つけそばで純和風、多少心配ではある。

そばをゆでる私にトニーが今年はどんな年だった?と聞くから、一瞬考える。
Meno male che e' finito「終わって良かった」という言葉しか出てこない。
もうこんなに勇気のいる年はあんまり繰り返したくなくて
この新年が普通に始まって、
2006年は穏便に進んでいける年になってほしいなあ、と思う。

年が明けてトニーとヴェスナに会ったら
「テレビで”世界の年越し”ってのをやってて、日本の人たちがそばを食べてるのを見た!」
と興奮していた。
イタリアで日本風の年越しをした数少ないイタリア人かもねえ、と笑ったけれど、彼らは新年に
白玉ぜんざいまで食べたのだから、すごい。
そばはかつおだしがきいたつゆがよかったのか、上品ではかない日本の風味がよかったのか、とても好評だったのだ。

ぜんざい用に煮た白豆が3日ほどで悪くなり、暖め直して食べようとした時に気がついた。
もう大晦日から4日も経ってしまったのか、と。
日が過ぎるのは早いなあ、と豆の足の早さで思う。

でも30代は(と31歳にして思う)あせらないことにしたんだ。時間は少ないけれど。
長期戦で最初に走りこむと後で息があがってしまう。

ということで、2006年はじっくり始まりました。

みなさん今年もどうぞよろしくお願いします。

脇山美伸

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コメント

やっほーやっほー。
天皇の記事というのは、イッセー尾形が昭和天皇を演じた映画に関連してのことだね。その文章はどこかで発表されるの?
今のとこ日本では公開するという話は聞かないよ。どうなるのだろうね。

私は20代だけど、あせらないようにしたいものです。ぼちぼちとハガキなど作ります。今度は布のバッグにも絵を入れようかなと思っているよ。
ではまたね。

Buonanno!
待ってましたよブラ日記!でも、月間ハコに改名?
BRAネームにしてみました。12月は本当にありがとうね。
たった10日間だけど、静かな二つの街でスローライフを送っていたら、年末の日本のスピードに追いつくのに大変でした。又短時間睡眠の日々になっちゃったけど、一応スローフードにするようにしてます♪

そうそう引越し計画ですが、結構順調に進んでます。けど、未知のエリアなので結構不安だったりする・・・実家エリアより愛着のある三鷹を離れるのは辛いけど、単純に1日2時間睡眠時間が増えるのでしょうがないね。次回帰国時に時間有ったら寄ってね。

ではでは、今回も優しかったBRAの皆さんによろしく!
(Paolaは無事に画像受信出来たかな?)

よろしくお願いします。本年も。

通信書いた後、2日だけミラノへ行って帰ってきました。
3人ともコメントどうもありがとう。
なおちゃん、イッセー尾形氏主演の「太陽」は一応2006年度の公開に向けて
調整が進んでいるそうです。私の記事は日刊ベリタに載ります。
たまたまミラノの映画館でまだ公開されていてもう一度見たら、小さな映画館にイタリア人が2人いただけ。
トリノでは結構人が入っていたんだけどね。(一方「さゆり」は大入りです。)
「なおちゃんカレンダー」の1月のピンクのワンピースの女の子、いつも台所で見ています。不思議な雰囲気の女の子だね。

サトゥさん、ブラに12月に来たときは私ものんびりできて良かったです。
都会に出るとすぐにブラに帰りたくなる私ですが、それはどうも「道を歩いていて知らない人ばかり」というのに慣れないらしい。
今日も朝、街で老人会のおじいさんに二人もあったよ。
パオラはメール無事に受信してました。時間かかると思うけど、返事出すって言ってたよ。引っ越しにbuona fortuna. よい幸運を。。(「月刊ハコ」が全体のサイトになるはずなのだけど、指摘ありがとう。早速元の名前も戻してもらいました。)

賀さん、今年もこちらこそよろしく。といってももう20年のおつきあいだから、ほとんど言ってもしょうがないねえ。

みなさん「季刊」じゃなくて「月刊」にするようがんばります。。

脇山美伸


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