羊の秋
8月半ば、ヴェスナが貧血で倒れる。
映画館の映写師の仕事を始めたヴェスナの彼、トニーは初仕事の夜に
ヴェスナの携帯から電話を受け、気絶した彼女を救うためすっとんでうちへ帰ったらしい。
ヴェスナとトニーは、画家と陶芸家のカップルで、そういうとなんだか妙に
アーティスティックに聞こえるが、結婚はしてなくて一緒に住んでもう6年になる、普通のカップルである。
病院にヴェスナを見舞いに行くと、紙か壁程に白いヴェスナが横たわっていて、
でも気持ちは案外と元気なのだった。
しばらくして退院したヴェスナは、電話で私にこう言った。
「失業中なの。」
原因不明の貧血だったため、2ヶ月間は薬を飲みながら安静にするらしい。
大きな油絵を描いたり、壁画を描いたりするような仕事はしばらく御法度とのことで、
映画館の仕事でトニーが夜いない間は、ずいぶんと手持ちぶさたらしい。
”ペコラ・コーナー” (羊コーナー)はそんな「失業中」のヴェスナを最大に活用し、実現された。
貧血の治療のためピルを飲んでいる彼女は2ヶ月間生理を止めているから、
いわば人工的閉経状態でホルモンも安定せず、時々とてもヒステリックになる。
夜6時ぐらいから私たちは会って、よなよなペコラ・コーナーのちらしに使う羊のデザインを並べてみたり、羊のしおりに毛糸でひもをつけたり、子供たちに色塗りしてもらうための紙の羊を二人でさくさく切ったり、
私たちは羊づけの毎日を送り、その間もヴェスナはしゃべり続ける。
トニーと出会ったときの話、他の画家たちとなんとなくうまくいかない話、トニーとヴェスナがよく一緒に飲みに行く友達たちの昔のうわさ話、家族の話、クロアチア出身の彼女のおばあさんの話・・。
えんえんと話した後、
「あんまり良く聞かないでヨ、ヒステリックなんだから。」
とこちらの聞き取る努力をすべて無駄にするようなことを言う。
「移動放牧」の映像を見せることが目的の「ペコラ・コーナー」は、2年前の「チーズ」フェスティバルに引き続き、ブラの老舗ディスコ「レ・マカーブレ」が会場になった。
8月上旬、夜の仕事前の一杯をカフェでひっかけている経営者のロビーとクラウディオを見つけて、
「マカーブレはチーズの時になんかするの?」と聞くと、
ふたりはすぐに、「今年、何か見せる映像はある?」と打てば響くように反応し、3分としないうちにマカーブレでやることが決まる。
3つの「移動放牧」を見せるーー羊の群れが徒歩で移動するもの、トラックで移動するもの、そして牛の群れが足で移動するものーー人間の場合は徒歩でどこかへ行く場合 "a piedi" ア・ピエーディ、だけれども、動物の足はピエーディと言わず、ザンペだから、a zanpe ね、とひたすら長い時間私のイタリア語につきあっているヴェスナは文法にもうるさくなる。
毎日会っているにもかかわらず電話や携帯だけでは連絡が足りず、メールもしあうが、私がメールを送るたび「飲んで酔った後にメールを書いてはいけません。」と文頭につけて、5つか6つは文法の間違いを指摘してくれるのだった。
巨大羊を壁に貼って、子供たちに(いや大人たちにも)色を塗ってもらおう、というのは私のアイディアだったのだが、アイディアはあっても、はてどうやって実現するか。編集だけでも頭はいっぱいになる私にとって、巨大作品を作ることに慣れているヴェスナの仕事ぶりは大変ありがたい。
私がひとつ用意した羊の絵をスキャンして拡大し、部分部分ずつ大きな紙に写し取って行く。しかし、できあがった巨大羊を、どうやって塗ってもらうのか。クレヨンを最初に考えていたけれども、クレヨンは折れるし、案外と値段が高いわりに小さい。無難にペンの方がいいのでは、というのが大方の意見だ。
トニーとヴェスナのうちで昼食をごちそうになりながら、計画を練る。
台所でなべやお玉を繰りながらふたりはどんどんと考えを発展させ、「ブラの商店に5ユーロずつ出してもらって、かわりに広告を出すってのはどう?」と言うが早いが、「あそこのカフェと、角のタバコ屋と、ラミネート工場と、うちの映画館と、たぶんあそこのパン屋もいける。」とトニーは10あまりも可能性を打ち出し、ヴェスナはヴェスナで「文房具屋には余ってるペンを提供してもらうように頼んでみよう。」とブラの文房具屋をリストするのだった。
数日後、資金集めの報告で私の成果はたった5ユーロ、子供服店の一軒だけ、後は知り合いに聞くのもなんだかいつもお世話になっているぶんだけ、聞く気になれず、トニーとヴェスナに頼ってしまう。
"sai cosa e' succeso?" サイコザスッチェッソ? 何があったか想像できる?
とヴェスナが言うには、彼女が店をまわったときは、怒られたりつっけんどんにあしらわられたり、あるスパイス屋さんでは、すっかり盗人扱いだったらしい。
ヴェスナは全然悪い人ではないのに、なぜかモノ言いや顔の表情で「アンティパーティカ」(親しみやすくない)と見なされてしまうことが多く、よく本人もなげいている。もしくはイタリアで生まれ育っていてもイタリア人ではなくクロアチア人であることが、普通のイタリア人に一瞬警戒心を抱かせるのかもしれない。
一方トニーはなぜか好成績で、ひとりで50ユーロ以上も集めてくる。
「なんでトニーだけが?」 何か秘密があるのだろうか?と分析してみると、トニーはまず「よくしゃべる」だけでなく、「よく説明する」。
聞いて下さい、「日本人の女の子でブラに住んでるミノブっていう僕らの友達が、チーズの時にマカーブレで映像を見せる企画をたてている・・」から始まり、1、2、3、と段階を踏んでトウトウと語り、最終的には「ということで子供たちに使ってもらうペンを買うお金が足りないのです。」商店の人たちは「なるほど、可愛そうだね」と哀れみを感じるのか、長々としゃべるトニーに早く出て行ってほしいのか?5ユーロ紙幣をさらっと差し出すのだった。
最終的に90ユーロ(1万円以上)も集まった上に、文房具屋、本屋さんたちが少し古くなったペン、または全く新しいペンなどを山ほど寄付してくれて、色塗りにはもう事欠かない。マカーブレのロビーもフライヤーまで作って配りまくる私たちに感謝してくれるのか、後は俺たちが出すから、とお金を提供してくれる。
8月で終わせるはずだった編集は、予想していたごとく終わらない。
ヴァカンスに行ったコリーナのうちを2週間使っただけでは足りず、メキシコに休暇に行ったディーノのうちで2週間、そのうち後半1週間は、トルコに行ったパオラのうちで他の編集も並行し、最終的にはすっかり疲れ果てて、数日間はコンピューターに向かうことができなくなる。
ディーノが帰ってきた9月の始め、「まだ終わってないから、昼間ここに来てもいい?」と彼がオフィスに働きに出る間もおしかけて編集は続行、結局チーズ前日まで、あそこを切りここを切り、音量を調節し、他の準備をする合間をぬって少しずつ進んでいくのだった。
40頭の中サイズ羊と一頭の巨大羊をどのように会場に配置するか?
前日になっても私とヴェスナとトニーはマカーブレで討論を続ける。
ヴェスナはひとつひとつの羊を段ボールに貼付けて羊を立てて配置しよう、といい、トニーはそれでは子供には色が塗りにくい、下に置いて塗ってもらおう、という意見する。しかし、下に置くのなら床にそのまま置く訳にはいかない、靴でふまれるんじゃない?、どうやって靴を脱いでもらうようにする?と、延々と議論は続き、ヴェスナはとうとう「ああ、疲れる疲れる!」と頭を抱えるので「貧血で頭がくらくらするの?」と体を心配をする私だったが、「トニーをわからせるのに疲れるの!」と、彼女は6年も一緒の相方にいらいらする。
そんなふたりでも、5分もすれば仲直りのキスを羊の前でしているのだから、まったく心配はいらない。
結局は「立てた方がもちろん視覚的にはかわいいだろうけど、ここで一番大事なのは子供にとって快適なことではないか。」ということと、「下に羊を置くとしたら緑色の何かをひいたらクサッパラみたいで可愛いよねえ」の私のひとことで、緑の敷物はどこで売ってる?園芸品店が駅向こうにあるから、早速行こう、と車に3人で乗り込んでビニールハウス用のかぶせものや畑用のマットを売っている店へ飛ぶ。
メートル売りの緑色のビニールを5メートル四方を安く買い、2時間後にはマカーブレ内に疑似「草原」ができあがったのだった。
クーネオ県のラジオのインタビュー、地元ブラの新聞の記事といくつか広告をし、私の写真うつりのよくない顔写真までブラ新聞に載せられて、げんなりしながらもまあ記事はよく説明してくれているから、と自分をなぐさめる。「アンティパーティカ」なヴェスナは「まるで老女みたいねえ」とはっきり言うし、彼女の言う通り、朝一番スッピンで編集部に立ち寄った時に写真を撮られているから年は隠せないのだ。
夏も終わりに近づき、もう「暑い」という感覚もなくなった9月の第2週、毎日さらりと天気は良くて、ブラの人たちの合い言葉は
「チーズの間も天気が良いといいねえ。」
しかし、こればっかりは天に運をまかせるしかない。
「チーズ」のフェスティバルとはいえ、すべてのブラの商店にとって2年間に一度の最大のかき入れ時、パン屋からピザ屋、カフェやアイスクリーム屋、洋服屋から布地屋、ナイフ屋、タバコ屋まで土曜も日曜もぶっ続けで4日間店を開ける。チーズのブースを設けるチーズ商たちは、4日間の高いブース代金の元をとるため稼がなければいけない。
そうして初日、9月19日はやってくる。初日は危うい空模様ながらなんとか持ちこたえ、2日目、3日目は雨、雨、最終日の月曜日はようやく少し光がさした。私の方は、雨なら雨で雨宿りがてらに人々が映像を見に来る場合も多く、天候の悪さはそう気にはならない。
朝は着物を着て、白玉団子を作ってお茶を点てるお湯をわかして、「羊しおり」などを売るための釣り銭を持ってトニーが9時に車で迎えにきてくれるのを待つ。
「移動放牧」と着物や白玉やお茶はそう関係ないのだが、まあお祭りでもあるし着物を着るとみんなが喜んでくれるので私もサービスのつもりで着てしまう。ゆかたでもまだ寒くなかった9月19日、ばあちゃんの黒い単衣(ひとえ)着物で2日目、2年前にブラに来る時に古着で買ったピンクの絣で3日目、最後の日はもうすっかり寒かったので秋ものの黄土色のばあちゃんの着物を着た。
季節によって家畜を山へ移動させる「移動放牧」については、牧畜文化の濃いイタリアとはいえ知っている人と知らない人には差が多い。「小さな頃に見たことがある」という人、言葉さえ聞いたことがないという人、聞いたことがあるけどよく知らない、という若い人、街で暮らす子供にいたっては「トランスマンツァ」(移動放牧)という行為の意味さえなかなかつかめないだろうと思う。
英語とイタリア語で用意した配布用の説明用紙には「配合飼料で育てない限り、家畜が食べるえさは常に草を調達することから始まります」から始め、草を食べることが乳を作り、乳がチーズになるわけだから、草を食べることは羊・山羊・牛にとって必要不可欠で、大切な事業である、ということをわかってもらわなければいけない。
こういうことは、言われてみないと想像できないというか、私も羊飼いのアルドやチーズ商のジョリート氏に「草が変わるとチーズの味が変わるんだ。」とむかし言われて、なるほどそういうことか、と思った。
移動放牧の映像にはアルド家族と、マリータ家族の2つの家族が映っていて、羊飼いの子供たちニコロ、ベッペ、アンドレアが羊や牛を追っかけ、トラックの移動放牧には運転手さんも登場し、会場内に「山の生活」が大音量で広がる。
チーズフェスタ中は、近隣の小中学校がクラス単位で見学にまわる姿が見られる。
私のところには、初日の朝10時から中学校の2クラスがやってきた。
生徒さん40人と2人の先生に、3つの映像を見せながら説明する。
「文法間違ってたら許してね」と最初に言っておけば間違いをおかしてもドキドキしないので、事前告知すると、先生たちは笑いながら「彼らも間違うから大丈夫よ!」と励してもらった。
10分ほどの映像が3つとあいまあいまの説明で、そう大感動してもらうような経験は与えられないと私は思うし、すこし知ってもらえるだけでも大きな一歩だと思うから、13、14歳の子たちが画面の羊や牛の群れを見ているだけで私は満足した。
珍客アリ、南のサルデーニャ島のドキュメンタリスト、アントネッロがチーズ数日前に「俺もブラに行くからその時に会おう」とメールしてきて、1年以上も会ってなかったア彼が突然ペコラ・コーナーにやってきた。彼の作った「山の声」はサルデーニャの羊飼いを撮ったものだったから、スローフードの何かのプレゼンテーションで使われるために、呼ばれてきたのだった。
私が羊飼いの息子ニコロが乳搾りするそばで、ニコロとしゃべっているのを見て、「たくさん“表現”するよナ、おまえは」と言うからどういう意味かと思えば、それは私はたくさん質問したり、笑ったり、よくコミュニケーションするという意味であったらしい。「山の声」でアントは淡々と羊飼いがチーズを作るところを撮っていて、彼は無言だから、私はそれを2年前に見た時に「私だったら絶対にこのおじいさんと話をしたくなっちゃうだろうなあ」とそのアプローチの違いを逆に感じたのだった。
牛の放牧シーンに入れたピエモンテ民族音楽「トレ・マルテッリ」のオルガネット(小さなアコーディオンのような箱形鍵盤楽器、でもアコーディオンとは違う)奏者、エンゾもやってきて2年ぶりに会う。始めて彼に会った時は英語で話していたから、イタリア語で話すのがおかしなかんじだ。
とにかく動物が群れで移動する姿は大画面になると迫力がある。もうそれだけ長時間つなげてもだいぶん見ものだったのではないかと思うけれども、今回は「移動放牧」が、昔は徒歩で行われ、今はそれがトラックで行われるという現実と、羊や牛、どの動物であっても、とにかく「草を求めて移動する」ことが移動放牧であることをわかってもらうために、ひっきりなしに訪れる人たちに「6月に出発し、夏の間10月まで山の上で暮らし・・」と説明しながら見てもらう。夜7時に片付けてうちへ帰り着く8時9時ごろには、言語過多でひとこともしゃべりたくない。
来てもらって特にうれしいのは、街のディスコという若いロケーションにもかかわらず、ロウジン会の誰かが来てくれる時だ。
老人たちは絶対的に出不精である上に、自分の行き慣れていない場所にはなかなか足を運んでくれないから、誘いをかけて数人が来てくれればこれまた万々歳、テレジンとその友達と、電気屋アルマンドの上に住んでるカルロじいさんなど、ちょろりと立ち寄って顔を出すかと思うと、じっと見て行ってくれる。
あるブラ近辺の若者3人は、ひととおり説明しながら見てもらったところ、「うちのマンマが昨日ここに来て、お茶もおいしかったしおもしろかったから寄れって言ったんだ。」とそのうちのひとりが言う。
そういうひとことひとことが、数の多さとか企画の大きさといった「成功」とは違う思いを与えてくれる。
羊に色をぬってほしかった子供たちは、わんさか来たかというと、正直なところ少数にとどまった。
雨で子供連れは「行き場所がない」という話を方々で聞いたが、私たちのペコラ・コーナーはちょっと通りから入りづらい環境にあり、かつ表看板はなにぶん「ディスコ」なものだから、よっぽど入れ込みをしない子供連れには入りにくかったりするのだ。もっと前もって学校関係者などに宣伝しておかなければいけなかったねえ、とヴェスナと私はあまった白紙の羊に色を塗ったりする。
それでも、ふたけたほどの子供たちが塗った羊たちには、へえこんな風に、と思わされるものがあって、私たちの想像の範囲を超えるものが存在することに「こども企画」のおもしろさを思う。
例えばディスコの電気技師が連れてきていた彼の息子は、色ペンに見向きもせず、マカーブレのカウンターにあったストローを切り刻んでセロテープで羊にはっつけていたし、ある子供は私たちがかごに丁寧に入れておいたペンをざらーっとぶちまけて遊ぼうとした。もちろんそれを見た彼のマンマはダメッ、と止めたのだが、私は「大人の用意した、整頓された空間って子供にとってはどうなのだろう?」と思って、次の日には朝の準備をするトニーに「ねえねえコントンを作りたいんだけど。」と持ちかけ、ふたりでざらーっとペンをぶちまける。
巨大羊は、電気屋アルマンドからもらってきた冷蔵庫の段ボールを開いてパネルに貼り、晴れの日には外に、雨の日には中に入れて、「指紋押捺」サインパネルにした。畳二畳分はあるかと思う羊は1日ごとに大人たちの色とりどりの指紋でうまり、これはなぜか子供よりも大の大人たちが喜んだ。赤黄青緑の「指用インク」を混ぜたり、指紋の下にペンで署名をして遊んでいく。誰かがキスマークをべっとりつけていったけれど、それはまあ許すとして。。
「チーズ」がフェスティバル自体としてどうだったかというと、もちろん雨で人が少なかったというマイナス点と、チーズの世界をどれだけ深く伝えられたかという重要な課題について、未だ疑問点を残す。けれど、それは私の意見とある特定の人々の意見であるから、あまりここでは深入りしない。ある人にとってはチーズを売るチャンス、ある人にとっては商売のかき入れ時、ある人にとってはいつもの自分の暮らしにちょっと見て回るものが増える、ある人にとってはブラ中で車の出入りが制限されるのでなんともいらだたしい数日、スローフード協会やブラ市にとってはもちろん重要な4日間であることには変わりない。
私がいることにひっかけて、マカーブレにはスシを作るイタリア人コックがやってくる。
事前の試食やメニュー考案にちょっと助言をし、体格のよいレスラーのようなコックの2人が、サーモンでイタリア風押し寿司を作った。
それでもなかなか客が入らなかったので、2人を手伝っていた日本人コックのコウノスケ君と、牛が首につける鈴をふり鳴らしながら夜のブラの街を練り歩く。せっかく着物着てるので広告ぐらいは手伝ってあげないと、魚もあまってしまう。。
街中にカラーンコローンと響き渡るカネの音を聞き、人々は「どっかにヤギがいるんじゃないか?」とカフェから顔を出し、チーズ試食に忙しい人たちやチーズ商たちが、段ボールの看板でサンドイッチマンをしている若い東洋人男性と、カウ・ベルを鳴らしまくる私を見て大笑いに笑い、ワインまでふるまってくれるチーズ商がいる。カウベルをブースの飾りにつけている誰かは、ガラーンガラーンとあいさつを返してきたりして、なんだか余計におかしな夜の21時である。
売れようと売れまいと、雨が降ろうと晴れようと、人が入ろうが入るまいが、楽しい瞬間を見つけていくのがフェスタなのだった。
「チーズ」が終わって、商店へのお礼まわりもすませ、ヴェスナは貧血も回復し、今はもうある家の壁画を描く仕事に入っている。
もう「失業中」ではないのだ。
準備中に毎日会っていた私たちは、今1週間に一度くらい顔を会わせると、まるで1ヶ月も会っていなかったように感じる。
「見せたい」思いを一歩進めることが目的の「移動放牧」映像コーナーにもちろん利潤などなく、長い編集期間を終えて残るものは、次の仕事へのコンタクトとと、この先長い編集作業のほんの一歩だけ、やっと踏み出せたという安堵感、それもほんのほんの少しだけ、その「踏み出せた」という事実だけ、そして色々な面で助けてくれた友人たち、会場を提供してくれたロビーやクラウディオたちが、まるで自分の家族のようなかんじがするほど近しく思えること、そういう「関係性の進展」は、なにものにも代え難い。
様々な意味で賛否両論のある「チーズ」フェスティバル、けれどもそこに不備や批判や疑問点があるからこそ参加し、その中で自分の望むものを実現していくことは、どうやら2年に一度の私の「夏の宿題」であるらしい。
10月15日から11月14日まで日本です。メールがしばらく不調で、返信できなかった方ごめんなさい。
ディスコ「レ・マカーブレ」のサイトは http://www.lemacabre.it です。
どうぞ見てあげてください。
脇山みのぶ
コメント
ブラチーズ祭りの準備やら途中カウベルをつけて街を練り歩いた
様子?が分かり、雰囲気がつかめました。1日半だけ会場を回りましたが、期待以上の良さが実感出来ず、、。1回目から段々変化しているのでしょうね。また1カ所シチリアのブースで、飾りのカッチョカヴァッロの人形をほしいと頼んだら、やけに高い金額で押し付けられ、嫌な気分になりました、、。
最終日は開いていたんですね!昼頃訪ねてみましたが、再度行ってみれば良かった。26日セミナーをします。みのぶさんの写真等撮っていないので、マカーブレのサイトを皆さんにお知らせいたします。丁度日本に帰国された頃、楽しんで下さい!
投稿者: 大谷起代 | 2005年10月15日 07:10
大谷さん こんにちは。 あと6時間で出発の脇山です。
ADSLがある日突然通じなくなって9月後半はまったくインターネットフリーな
生活でした。それはそれで生活がゆったりしてよかったんですが、
お返事できなくってごめんなさい。
昨日はついに昔ながらの「ダイヤルアップ接続」でブラ通信を
送り、、イタリアの田舎だと安定した光ファイバーなどはまだ夢のような話です。
マカーブレのサイトにはきっと私の写真は出ていなくって、
DJのプログラム表なんかが出ているのでは。。
きのうはロビーと自転車のふたりのりをしていて、色々マカーブレのこれからの
予定などを聞いていました。小さくて「何もない」ってみんなが文句を言っている
ようなブラですが、それでも何かしよう、って気概があって救いがあります。
また日本でご連絡します! 脇山みのぶ
投稿者: 脇山みのぶ | 2005年10月15日 08:47