移動の夏
気がつくと前回書いてから4ヶ月もたってしまい、月並みな言葉ながら時がすぎるのは本当に早い。5月の半ばに長距離バスでブルガリアへ行き、帰ってすぐにカリアリへ戻り、また次にはピエモンテの山の中で羊を追っかける生活。これで月日が早くたたなかったらおかしいと思う。
羊・山羊・牛たちは、初夏に山のふもとから移動して、草がふんだんにある山の上へ行く。
それをイタリア語でトランスマンツァ transumanza (移動放牧)というのだけれど、そのトランスマンツァを撮ってほしいと言ってきたのは、2年前に山の上で出会った羊飼いのアルドだった。
朝5時から10キロほど行き10時ごろ目的地へ着く。そこで1週間ほど羊飼いの夫婦と3人の子供とキャンピングカーで暮らし、その間羊たちは草原の草を食べ尽くす。食べ尽くしたら次の目的地までまたゴー。
朝晩2回の乳搾りは2時間半以上かかり、時には夜中の12時になっても終わらない。
2年前に羊飼いの母と息子が山の上までヤギをつれ戻しにいくのについていった時は、羊飼いの生活がこんなに大変とは、と思ったけど、今回は「大変」もまったくその大変がわかっていなかったんじゃないか、と思えるような日々だった。
民族大移動、トランスマンツァは7月始めにやっと終わり、山の上から帰ってきた時には、日焼けして、胸板が厚い。以前のきゃしゃな私はどこへいってしまったのか、パオラも夕食の食卓でわたしを見ながら、しきりに「あと2キロぐらいはやせていいんじゃない。」なんて心配顔で言う。
電気もガスもないクサッパラ生活に疲れたのか、それとも2005年年明けから南北へ移動しすぎたのか、とにかく7月はもう絶対に家から動かない、と思った。自宅のソファに寝転がるだけで、なんとぜいたくなことか。ブラの人々は「たくさん旅行ができていいね。」というが、自分の生活から離れて他人の生活に飛び込んでいくようなことは、ヴァカンスと一緒ではない。
そんなひもの切れたマリオネット人形のような気分の時に、家を失って転がりこんできたナポリ人のミュージシャンが私のアパートに住みはじめた。私が帰ってきた時には新しいうちを見つけて出ていってくれるはずだったのが、ずるずるとふたり暮らしになってしまう。家賃も半々になるので、7月働きたくなかった私にとっては良かったのだけれど、ブラの若者たちは「ジェラルドと住んでるんだって?」としょっちゅう私に聞く。
カリアリで男の子と部屋をシェアしてから、同居人は「女+女」より「女+男」の方がさっぱりして良いのではないか、と思っていたから、ジェラルドと暮らすことにはそう抵抗はなかった。何か言われても馬耳東風、右耳から左耳へ流す術を覚えるないと、小さな街では暮らせない。
この頃、女の嫉妬話にも巻き込まれる。
その話をするとブラの女性たちは真剣に心配し、逆に男達は「笑う」。
なぜだろう。概してイタリア人は嫉妬深く、特に女が嫉妬する場合には恐ろしいことになる、と皆経験で知っているのか。もちろん私は何もしていないし、ましてやそのだんなさんだって何もしていない。
「女にはね、わからせなきゃだめなのよ。」
久しぶりに昼ごはん後のコーヒーを飲みに立ち寄ったフランチェスカのうちで、ひとつ年下の彼女がこう言う。
「だんなとね、奥さんがふたりとも友だちだったら、奥さんには2倍話すの。それか、はっきりこう言うのよ。”だんなよりもあんたの方が私には大事な友だちだ” とかなんとか。」
彼女のばあいは、親戚同然だった女友達がその彼氏とフランチェスカの間に何かあると誤解して、友好関係が崩れたらしい。
そんなフランチェスカの言葉を聞きながら、隣で彼女のお母さんも静かにうなずいている。
私には、そんな嫉妬も、彼女の生活のストレスから来ていて、彼女自身もそれをわかって苦しんでいることを知っていたので、そう心配にはなっていない。それでも無意識のどこかでは投げつけられた種々の言葉に私も傷ついているのか、それともやはり山の生活疲れなのか、ある日の午前中はすっかり無気力状態、ということもあった。
男や女であるということは生きることのすごく大きな部分を占めている、ということに改めて気づかされる。最近男女の世界から遠のいていたせいで、すっかりそんなことは忘れていた。
8月に入って、ブラはすっかりひそやかになり、ヴァカンスに行ってしまった人たちから取り残された「残り組」たちがゆうゆうと道をかっぽする。暑くもならず、湿気もなく、私にとってはまるで秋のようだった。
1週間から2週間、多い人で3週間ほど夏休みをとるイタリアだが、今年は景気の悪さでヴァカンスをひかえた人も多いらしい。隣、リグーリア州の海や近場のフランスですます人も多く、遠い異国へでかけるのは、ひとりものでお金に自由がきく人、比較的裕福な人たちのようだった。
スペインの海へ女友達2人と出かけたおんなの子のうちへ、機材一式持って8月は2週間こもる。夕食の誘いもないので集中する時期としては最高だった。そこへニューヨークへ出かけた写真家の女の子が、ネコを預かってくれと置いていく。毛の色は白なのだけど目がきれいで青い、 ”ブルー”。3歳でもう大人だがやんちゃで、でもひとりで眠りひとりで遊び、自立していてまったく手がかからない。編集する時には最高の伴侶である。
7、8月はクラウディオが畑から持ってきてくれるトマトとズッキーニで生きのびた。
ある朝10時頃にブーッとチャイムがなると、あ、クラウディオかな?と心が踊る。そろそろ野菜もなくなりかけていて、、とドアを開けるとやっぱりそこにはビニール袋にいっぱい野菜をつめた、クラウディオが立っているのだった。いつものがさがさ声で「こんなに湿気があると日本にいるみたいだろう!」などと言って、さっさと帰っていく。(彼らにとっては少しの湿気もすごく湿気があるように感じるらしい。)お礼に、前回もらったトマトで作ったトマトソースなどをあげると喜んでくれるのだった。
ズッキーニのクリーム、ズッキーニの炒めもの、ズッキーニの酢漬け、ズッキーニの味噌炒め、トマトのサラダ、トマトの輪切り、トマトとアンチョビ、と毎日続く。スーパーのトマトとは格段に違って味も濃く、毎日感動しながら食べることができる。
8月、編集に入るともう料理する気力は全て吸い取られて、野菜を切って食べてすますだけになる。その合間に楽しませてもらったのが、ひょんなところから舞いこんできた日本語レッスンの話しだった。友達の姪っ子2人が夏休みの間に日本語を習いたい、という。あいうえおから始めて、こんにちは、さようなら、わたしはアリーチェです、わたしはロベルタです、と3回のレッスンで結構勉強した。
嫉妬さわぎの後、友達とのお金のトラブルまで発生して、なんとなくげんなりしている時に、10代の子供に会うことは私の気分を回復させる。とりあえず、彼等はまだ他人を利用するとか、他人の弱味につけこむという術を知らない人たちであって、純粋な心、なんて言うつもりはないが、正直で誠実であることには変わりないのだ。
「人が良すぎるんだよ。」
と、私にとっては既に親戚のおじさんのようなチーズ屋ジョリート氏に言われて、またため息が出る。
イタリアにおいては、いや日本においてだってそうかもしれないが、もっと人を疑ってかかり、必要な時には嘘を言い、自分にとって不利益なことをする人には近寄らず、そういう人とは決してお友達にならないこと、そういう生き抜く術が必要だ、というのはわかるけれども、世の中には「いい人」と「悪い人」がいる、というふたつに割ったような見方は私にはどうしたってできない。
誠実でいるなって言うならどういう風にあればいいのかねえ、なんてうすら悲しく思っていると、同居のジェラルドが大きな音でかけている音楽に、えらく哀しく、でも時にひどく明るい男の歌声があった。
「これって誰?」と聞くと、プーリア出身の ”マテオ・サルヴァトーレ” だ、と言う。
ズッキーニの花をフライパンで焼いたものをつまみながらその歌声を聞いて、「結局は」と私は思った。「誠実であることが一番強いんじゃないか。」
たぶんそれが一番多く傷つく方法で、傷つけば傷つくだけ、それは恐く思える。しかし、傷が大きいぶんだけ、そこから癒えてくる時の力も積み重ねられてくるわけでーー胸板が厚くなってくるようにーーはねかえる力も強くなってくる。
全く力のわかなかった7月から2カ月経ち、その頃からは考えられない程元気になった。9月の半ばの「チーズ」フェスティバルに向けて、移動放牧の映像を見せる準備も整ってきた。2年前の「チーズ」の時は、「カプラ・コーナー」(ヤギ・コーナー)という映像コーナーのために、若い友達たちがものすごい勢いで助けてくれたけれど、今回は準備する期間もきちんと長く、ずいぶん落ち着いている。問題は多くあってもがたがたはせず、どうせ寸前になればなんとかなる、とたかをくくっている。ある日本の会社からひとつ支援を頂くことが決まり、今回はそれは大きな進展であったし、ブラの商店主たちもだいぶん寄付をしてくれた。
自分の強さは、決して筋肉的な強さではないけれど、しなやかに、折られてもぐいいっと曲がってまたはねかえるような、竹みたいな強さがあればいい。
9月16日から4日間の「チーズ」フェスティバルが終われば、ブラに住み始めて2年になる。ヤギ・コーナーにひき続き、ペコラ・コーナー(羊コーナー)がどうなるか。また終わったらブラ通信に書きます。
脇山みのぶ