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2005年05月09日

エイヤとアイヨ

3月5日にブラを発って、おととい5月7日にここに帰ってきた。
2ヶ月のサルデーニャ生活は思っていた以上に短く、今この自分の部屋にいるとカリアリの空気がまだ体内に感じられて浦島太郎になったような気分である。

2ヶ月もカリアリにいることにしたのは、ひとつは「羊飼い」の編集に集中するためと、もうひとつは「エフィーズィオ」の撮影のためにカリアリ生活に慣れたかったためで、ちょうどよいタイミングに「部屋がひとつ空く」という情報が、冬にカリアリの友人から耳に入った。

男の子と女の子のふたりで共同生活することは、ここではそう珍しいことではないと思うけれど、自分がやるとなると尻込みする。「アルベルト」と一緒に住んでる「キアラ」という女の子がナポリに仕事で2ヶ月行くので、その間私はその男の子と一緒に住むことになる。キアラとも電話で話しただけの仲だから、アルベルトのことだって何も知らない。正直言って少し悩み、キアラに「アルベルトってどんな人なの?」と聞くと、「私にとってはファンタスティックな人よ!」という答えが返ってきた。

ファンタスティックな人ってのはそうたくさん存在するわけじゃないから、それを聞いて思わず笑ってしまったけれど、「どいういう風にファンタスティックなわけ?」と聞くと、キアラはこう答えた。「たとえば朝私がむかつく気分で起きてきたとするでしょ、でもアルベルトはそういう私をちゃんと認めてくれるのよ。」

ただ単に一緒に住むだけなら、2ヶ月ぐらいどんな人でも我慢はできそうだけれど、今回の場合編集作業が平行するわけで、誰とでも一緒に住めるわけではない。でもそのキアラの言葉を聞いて、ぴりりとこれは大丈夫だな、と思った。

40キロを超える荷物を抱えてカリアリに着くと、曇り空に雨がちらつき、「一年のうちのほとんどの日に太陽と出会える」なんて書いてある機内誌のカリアリ紹介とはほど遠い。
迎えに来てくれた友人の車でアルベルト宅まで行くが、そういえば、集合住宅の何階なのかも聞いていなかったし、「アルベルトとキアラ」としか知らなくて、名字もわからない。イタリアに「アルベルトとキアラ」なんてごまんといるし、チャイムや郵便ポストには名字しか書いてないのだ。

前日は朝5時まで書き物をし、空港では荷物のことで航空会社とけんかをし、おまけに着いたと思ったらどの部屋かわからない。アルベルトは仕事で出かけていて携帯も通じず、かぎを預かってくれていた彼のお母さんは500メートルも先に住んでいる。

絶望的な気分で、スーツケースと共に集合住宅の中をうろうろするが、ようやく二人を紹介してくれたエマヌエラが電話で「一階よ!」と教えてくれた。それにしたって、一階にある部屋のドアにかぎをさしこんでも開かない。

しばらくがちゃがちゃやっていたら、警戒するような人影が窓越しに見えた。アルベルトとキアラのおうちを探しているんですけど、と言うと、まだまだ警戒しているような声が「知りません」と答えて、ドアも開けてくれない。ブラだったらすぐ助けてくれるのになあ、なんて暗い気分になるが、集合住宅の中庭を歩き回って他の場所を探しまわる。エマヌエラにもう一回電話すると「エレベーターのすぐ脇!」との回答。上に登る階段の脇に小さなドアがやっと見つかった。

重い扉を開けて薄暗い廊下に入ると、ひんやり湿った空気が細長くつながっている。うなぎの寝床のよう、と思いながら中に入ると、台所、居間、が縦に連なる。自分の部屋になるべき部屋はどこだろう?と思って見回すと右に折れる道があって、その奥にどうやらキアラが明け渡して行った部屋がある。思った以上に広く、10畳ぐらいの部屋にベッドと大きな机があって、その机の前には、つい最近私もブラで見たばかりの「トルコの花嫁」(邦題はわからないけれど)の映画ポスターがあった。

南国とは思えないほどの薄暗さと寒さだが、これなら毎日集中できそうだ、とひとつ安心し、居間のテーブルを見るとアルベルトが書き置きと食べ物を用意してくれていた。
「ようこそ!残念ながら部屋で迎えることができないけれど、旅の疲れをいやすためにサルデーニャのお菓子とチーズとフルーツをおいておきます。部屋で休みたかったら君の部屋は右の奥。」

サルデーニャ島はイタリア半島とは全く違う文化を持っていて、風俗も食べものも違う。ちょうど日本本州と沖縄で文化が違い、沖縄に行くと言葉や音楽、食習慣ががらりと変わるようなものだ。ナッツやドライフルーツをつかったお菓子、不思議なぎょうざのような形をしたお菓子、チーズはペコリーノ・サルド、というあっさりとした味のものがおいしいし、アルベルトはそれにあわせてパンまで置いておいてくれた。

いろんな場所に行けていいわね、と旅の前にはブラの人にもよく言われるけれど、前日朝まで荷物を作ったり、空港でてんやわんやしたり、私にとっては移動はそんなに楽しいことではない。全く知らない人のうちに来て2ヶ月暮らすことが勇気がいらないわけでもないし、だいいち不安症なのだから、何かに飛び込む前はだいたい暗い気分になる。
夕方5時のカリアリの居間のテーブルで、睡眠不足と心配でお腹がすいていた私は、ひとりアルベルトの歓迎ビュッフェに感動しながらお菓子とチーズをぽそぽそ食べた。

荷物を運び入れてしばらくすると、今度はドアを叩く人が現れる。
「・・どなた?」
と聞くと、「30分ほど前に・・」と英語で答えが返ってきて、「ドアを開けて対応しなくて悪かったと思って・・」と続く。
ああ、さっきの不愛想な隣人だ、と思いドアを開けると、人懐っこそうな巨体のお兄さんが立っていた。
「家内と昼寝をしていたら鍵を開けようとする音がするからびっくりして、いやアルベルトたちとはあいさつをするだけの仲だから、新しい人が来るなんて知らなかったんだ。申し訳なかった。」
とわざわざ謝りに来てくれたのだった。

南の人たちが人懐っこく、オープンであることには定評があるし、私もサルデーニャは始めてじゃないからわかっていたはずだけど、お菓子&チーズの出迎えと謝罪訪問にはすっかりやられてしまった。

ベッドで少し寝ていると、チャイムの音がしてアルベルトが帰ってきた。うなぎの寝床の廊下をさかのぼりドアを開ければ、そこには怪獣のような風貌の、天然パーマを長く伸ばした背の低いアルベルトが立っていた。といっても、私だって寝起きだからどんな顔をしていたか知れたもんじゃない。

「俳優」をしているというアルベルトだから、声は大きく、しゃべり方にも特徴がある。はきはきと、旅はどうだったか、とか今日は疲れてるだろうからまた明日ゆっくり話そうとか、さくさくと段取りを組んで行くやりかたは28歳にしてはしっかりしていて、私もつられて「化粧なしで歩き回ってもいい?」なんて、言いたいことはさくさくと言えるかんじだった。

書き置きの最後に、「テレビが見たかったら、そんなにたくさんチャンネルがうつらないけれど、どうぞ」、そして
「“アヒル”と“木”はチャンネルを変えるためのものです。」とあって、全く意味がわからなかったのだけど、アルベルトは舞台調に「はっはっは、これはね・・」と小さなビニールのアヒルの置物を高く持ち上げる。
その口ばしを古テレビのチャンネル変えボタン(これが小さい)につきさして、1、2、3とチャンネルを変え、同じく、木のビニールおもちゃのてっぺんも、1、2、3、と突きさしていくのだ。

これまたおかしな人と一緒に住むことになったものだ、と疲れがとれる気分だった。

演劇グループで俳優活動をする合間に家庭教師をして食っているアルベルトは、文法や言葉つかいに厳しく、私が間違いをおかすと「イ・ル・フィ・ネ・ス・ト・リー・ノ!!」と大声で訂正してくれる。サルデーニャの歴史や、聖人エフィーズィオのことで質問があれば、テレビを見るソファに横たわったままでとうとうと説明してくれたし、イタリア語とは全く違う、この島のサルデーニャ語もだいぶん教わった。

何か嫌なことがあった時、むかつくことがおこった時、日本人ならどうするだろう。イタリアだったら大声でののしる。運転中のパオラの言葉使いはとても普段のパオラからは想像がつかないし、若者はもちろん、老人から若い女の子にいたって、(もちろんその程度は人によるが)ことあるごとにののしる。

イタリア生活1年8ヶ月とはいえ、まだ「イタリア語でののしる」ほどの生活慣れはしていなかった私だが、カリアリに来てアルベルトと彼の友人たちは私に「サルデーニャ語でののしる」方法を教えてくれた。カタカナでここに書いて、たとえ誰もその意味が分からないとしても、心情的に恥ずかしくて書けないほどの意味である。
日本語に“パロラッチャ”(汚い言葉)はないのか、と彼らは聞くけれど、そういえば日本語には「ののしり言葉」がそう多くない。何度聞かれても「そういう場合はなんて言うのかな。」なんて私も考えてしまう。

「じゃあさ、料理中に塩びんが落ちたらなんて言うわけ?」
「もし、運転してて他の車が割り込んできたら?」
「彼女が他の男と一緒だったら?」等等・・。
結局は、イタリア語のののしり言葉を直訳して彼らに教える、という方法しかなかった。
「オマエハ、バイタノムスコ」というのは彼らの覚えた、いちばん最初の日本語である。

サルデーニャ最大の都市・カリアリには日本人も多く住んでいるはずだけれど、「身近に接する日本人」なんてまだまだレアである。
アルベルトによれば私は「動物園の珍獣」みたいなもので、ことあるごとに「日本では○○だっていうけどホント?」とか「日本ではこういうことする?」と、「日本について質問大会」になる。
ある金曜の夜、スシを作ってアルベルトの友達を呼べば、5人が7人に増え、7人が9人に増え、夜中の2時頃には部屋中が人でいっぱいになって15人ぐらいになる。そして夜中の4時ぐらいまでさわいで、おなかが空いたからクロワッサンを買いにいっておやつを食べる。その晩は、到着したばかりの人に大さじ山盛りのわさびを味見させ、涙を流させるといういたずらで大騒ぎになった。

南の人からすれば北のピエモンテ州の人たちなど「暗くて、裏表があって、閉じて」いて、逆に、北の人からすればサルデーニャの人など「野蛮で、足が短くて、知的ではない」というのが印象らしい。
どちらの描写もそう正しくはないと思うのだけれど、確かにブラにいる限り、小さな街の哀しい性かあれこれと人の悪口を聞くことは少なくない。アルベルトの人間関係や他のカリアリの人の生活を見る限り、陰口は少ないようだし、どちらかと言えば、裏で言うぐらいなら、表で叫んでいるというかんじだ。

アルベルトの友達たちが特におかしいのかもしれないけれど、「よお」というかわりに「ぼん!」と頭をなぐって挨拶するし、私がイタリア語を間違えば「落第させるぞ!」と怒鳴るし、夜中に出かけて次の日の朝顔がむくんでいると、開口一番「なんちゅう顔だ!」と言う。
すべてがカリアリでは少し温度が高い。

映像しめきりの4月15日までの1ヶ月半は、撮る必要がある時と、一日3時間外に出る以外は部屋でコンピューターに向かっていた。映像を仕上げる間は私も大きな不安を抱えているし、かといってそれを誰かとわかちあうわけではないから、さらにひとりで、いやおう同居人との関係は濃くなる。ソファで沈んでいる時にアルベルトが帰ってきて「ボーンジョールノー!!!」とわめけば気分も明るくなるし、食欲がない時でも彼がピザでも買ってくればつまむ気分にもなる。相手がそれを感じていようがいまいが、それを私が言葉で表そうが表すまいが、 そういう信頼関係には一種独特なものがある。

一方、エフィーズィオの撮影には思った以上の難しさがはらみ、果たして掘り下げが事足りたのかどうかは今の私にもまだわからない。
聖人エフィーズィオを運ぶ行列は350年ほど前に始まり、それから毎年欠かさず5月1日から4日まで行われている。第2次大戦中でもライトバンに積んで秘密で運んだくらい大事な行列で、サルデーニャの他の土地からも人々が行列にやってくる。その一方、カリアリ地元民たちの「飽き飽き」気分、若者の宗教離れ、宗教行列の観光化をめぐる是非、法王の死去もあいまってヨーロッパにおける精神性についての問題とか、教会どうしのいさかいとか含め、撮影の目的だった「エフィーズィオを運ぶ台車の車輪」を大きく越えて、自分の血肉ではないキリスト教文化について掘り起こして行くのは至難の業だった。

カリアリターニ(カリアリ生まれの人たちのことをこう呼ぶ)の顔が見える映像が撮れなければ、ただの「修復作業ABC」ビデオになっちゃうなあ、と思った1月、さて、どうすれば少しだけカリアリターニに近づいていくことができるのだろうか、と思った2月、よい案配に部屋の話があって移ってきたのが3月。イタリア語のイントネーションから人間関係から気候まで、全てが違うカリアリで、彼らがいくらオープンとはいえ、最初はどうやって人々に近づいていってよいかわからなかった。
それが、出発前の5月6日、あちこちにさよならを言いに歩き回るほど知り合いが増え、市場の肉屋のおじさんは涙ぐみ、さんざん通ったエフィーズィオ教会の人たちは「さびしくなるねえ」と記念撮影をしてくれる。
出発の日の朝、行きつけになったバールのおじさんに挨拶に行き、厨房にいるおじさんに「ちょいとお!!」と声をかけたら他の客が「まるでおうちだね。」と笑っていた。

アルベルトの友達たちは6、7人が空港に見送りに来ると行っていたけれど、ふたを開けてみれば(予想通り)ほとんどが寝坊して来ない。車を出してくれたセバスティアーノと、その彼女のジュリと、アルベルトの3人で空港に向かった。

サルデーニャの言葉で「はい」は「エイヤ」、「さ、行こう」は「アイヨ」。
日本語ともあい通じるものがあって、ののしり言葉以外に私が使いなれたサルデーニャ語はこの2つだった。
「じゃあ後でね」「エイヤ!」、
「また今度電話で話そう」「エイヤ!」、
「○○について聞いたことあるでしょ」「エイヤ!」。
純イタリア語では「スィ」と言うことからすれば、おかしな言葉だ。
それにかわって、英語の「レッツゴー」にあたる「アイヨ」は、「さ、もう時間だ、アイヨ!」となる。
空港へ向かってもカリアリから離れることがまだ現実化できず、おかしな気分だった私だが、搭乗前にみんなでお茶を飲み、さあと立ち上がる時、2ヶ月間使っていなかった「ドゥーマ!」ーーピエモンテ方言の“レッツゴー”ーーが口をついて出てきた。

今ドゥーマって言っちゃったよ!と笑うと、こういう時は「アイヨー」だろ、とアルベルトが(少し哀しそうに)また訂正する。
帰れば帰ったで、ドゥーマ!と言う生活に慣れるのだろうけど、「アイヨー」と「ドゥーマ」に大きな差があるように、生活様式や人間関係の違いにしばらくギャップを感じそうだ。

さっきそのアルベルトから電話がかかってきて、
「風邪引いて熱があんのよね。」と言うと「そりゃよかった。」
「なんでよ?」
「熱のせいで住所を書き忘れたということにしよう。」
こちらへ送ってもらうように頼んでおいた私あての荷物に、ブラの郵便番号・市名・県名をごっそり書き忘れたらしい。落第させるぞ!と言うのを彼は忘れなかった。
カリアリは遠くても、エイヤとアイヨは忘れないでいようと思う。