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2005年03月05日

ヤギといっしょに

今月は、「モザイク」というボランティア団体が企画する外国人向けイタリア語講座に出始めた。月曜、水曜の朝か夜、2回クラスがあって、金曜夜が上級コース。3人の元教師女性が熱心にイタリア語の文法を教えてくれる。モロッコ、ルーマニア、アルバニア、セネガル、時々子連れのお母さん、レバノンやアルゼンチンの人もいる。小さな部屋に各種国籍がひしめいて、不思議な空間だ。

去年このコースに立ち寄った時に知りあった、ルーマニア人のマリオが今年も来ていて、1週間に一回私のイタリア語を見てくれることになった。彼は1年半か2年ぐらいはイタリアにいるはずなのだけど、仕事が見つからなくてよく散歩している。上手にしゃべれる、というより、たくさん言葉を知っていて、どんどんしゃべれる。

ルーマニアの人というのはイタリア語を覚えるのがすごく早い。言葉が似ているそうだ。イタリア語のボン、よい、がルーマニア語だとブン、おいしい、のブオーのがブーナ・・。これなら、習得も早いだろうな、と思う。

マリオは23歳で、見るからに「兄ちゃん」というかんじ、悪ガキっぽい。
去年私がイタリアに滞在する居住許可証の申請や、外国人用書類の関係で何か困ったことがあると、スーパーなどでばったり会い「そのことだったら○○通りの外人相談コーナーに水曜の午前に行けば教えてくれる」とか、「来週から外人向けのイタリア語講座が始まるぞ」とか、有益情報を必要な時に教えてくれる不思議な存在だった。それも何ヶ月かにいっぺん、「ばったり」会うだけで、「じゃあね」で、もうしばらく会わない。

彼に仕事がなくていつも探してるのは知っていたけれど、彼は書類なしの違法滞在だから、余計に難しいのだ。お兄さんやご両親がイタリアに住んでいるからやっていけているようなものなのだろう。。

コーメスイファアンダーレアスクオーラ・・ 
学校へ行くのにはどうやっていったらいいでしょうか?
なんていう構文を利用して、コーメスイファ〜 「その髪の毛、どうやってそんなにつんつん立ててるわけ?」と聞くと、「ジェルにきまってるだろう!」と言う。よくよく聞けばエルヴィス・プレスリーが好きなんだそうだ。

テキストの文章を私が音読して、マリオが聞く。この街で絶対にルーマニアの人がひとりでカフェに入ることはないし、ましてやモロッコ人の人が「モロッキーノ」(エスプレッソに半分だけ牛乳が入って、カカオがかかってるもの?くわしくないのです)を飲みにくることもない。そんなイタリア・カフェ事情に、日本人とルーマニア人がやってきてイタリア語でしゃべっているのだから、ブラの人が、眉をひそめるわけではないけれども、珍しげに見られることは確かだ。

ルーマニアから来ている移民はたくさんいて、女の人は住み込みの老人介助か家事掃除で仕事がたいてい見つかる。男の人たちは工場、農場、工事現場など。国の老人福祉サービスが充実していないのが「幸い」してなのか、移民の人たちにその仕事が押し付けられているのか、とにかくこの国では移民なしでは老人の生活は絶対になりたたない。

ちょうど「ますさん」の英語字幕を作り終えたばかりだったので、テキスト音読はやめて、「ますさんイタリア語字幕の音読」に切り替え、そしてそれをマリオが「ルーマニア語に訳す」。簡単なテキストの文章を聞かせるだけより、その方がマリオにとっても勉強になるかも、なんて思ったのだ。

日本語では「へえそうなんだ?」とか「そうだよね」とか、同意を求める表現がとっても多い。だから、「ますさんのかぼちゃ」には  "A si?" アースィ?がよく出てくる。それがルーマニア語になると、A da? アダ? になる。
アダ?は言いやすいので、ことあるごとに私はアダ?アダ?とくりかえし、すっかり板についた。

左利きのマリオは「オレは字がとっても汚い。」というのだけど、読めないぐらい汚いわけではない。DとPがわからなかったり、Jが書けなかったりはするけれど、(たぶんJの字はそんなに使わないのだろう、イタリア語でもJの言葉がほとんど存在しないから・・)、私の日本製4色ボールペンをぎっちり握って、ゆっくりゆっくり書いていく。

字幕の翻訳っていうのは大変な作業だ。イタリア語の翻訳を作って下さったキアラさんも、英語版を作ったジェシカも、トルコ語を作ったパオラの友人も、ごちそうさま、をどう訳すかとか、いってきます、は何かとか、「植木鉢か。。」という半ば「閉じた」和風のつぶやきを、ひとつひとつ組み立てていく。。

ましてや「オレはもう1年ぐらいルーマニア語を書いてない」って自慢するマリオなのだから、毎回3時にカフェで待ち合わせ、5時ぐらいまでかけて、手のひらでつつめる分ぐらいの文章しか訳が進まない。

マリオの頼んだ「カフェ・モロッキーノ」がいつも半分以上残ったまま、冷えていく。熱中すると、飲まないでずっとほっぽっておいてしまう人なのだ。

マリオのマンマから途中で電話がかかってくる。
NEC製、カメラ付き携帯の着音が静やかなカフェに響きわたる。でも、イタリアでは公の場の携帯は承認されていることなので、まあ大丈夫。
何言ってるのかなあ、何日間がマリオのルーマニア語を聞いたり、コンピュータに打ち込んだりしているので、私も聞いていて何となくわかる部分がある。
ブン、とかアダ、とか、そういった短い言葉。。

5時半に父親が仕事から帰ってきて、となり街に住む兄さんのところに一緒に行くって言っていたから、だいたい会話の内容は「今どこにいるの?」のたぐいだろう。
聞いていると、あ、今私のこと言ってるな、という箇所に「カプラ」(やぎ)という言葉がでてきた。
電話が終わってから、ねえねえ今さ、ヤギって言ってなかった?と聞くと、意表をつかれたようにマリオが笑って、「ヤギと散歩してる、ってルーマニアでは言うんだよ。」と言う。

今どこにいる?って聞かれてぶらぶらしてるって時に、「ヤギと散歩してる」って言うんだ。。誰かといっしょでも、いっしょじゃなくても。

私はその言い回しがひどく気に入って、ヤギと散歩してるって相手に言われると、なんだか何をしていても心が軽くなるような気がする、と思う。

全部で5日間ぐらい、3時から5時までのお茶タイムはマリオと一緒だった。彼は5日間、「ヤギと散歩した。」女の人をしつこいジョークで怒らせるのが好き、という悪趣味のマリオは、「来週からサルデーニャに行く」という私に「へえ”リグーリア”に行くんだ」とくり返す。若いのにまるで小舅のようでもあって、「ほら、めがめをこんな風に置いたらいけないよ」とか「なんでこんな風にバッグを持つのかね?」とこうるさい。
すっかりそれに私も慣れて、「アダー?」と聞き返すだけですむようになった。

5月の頭にルーマニアに書類をそろえに帰り、6月にこちらに戻ってきて、ちゃんと合法滞在にすると言う。その時にはエルヴィス・プレスリーの自伝が出るっていうから、お礼にプレゼントするね、と約束した。彼は実は「ヤギと散歩してた」わけじゃなくって、ちゃんと仕事をしてくれていたのだから。。

「モザイク」の夜のイタリア語コースに行くようになったら、道を歩いていて私に手を振るのがブラ老人だけじゃなくなった。セネガル人の男の子が、”コメヴァー?” 元気?と声かけてくれたり、ガラス越しのコピー屋さんの中にいるモロッコ人の男の子が手を振ってくれたり..。

私は日本人で、最初にここに来た時からどこでも良く受け入れられてきた。でも私がモロッコから来ていたら、セネガルから来ていたらルーマニアの人だったら「こうはいかないだろう」とは老人会のじいさんたちにかわいがられたりする時によく思う。ブラのイタリア人が外国人を毛嫌いするわけではないけれど、ふとしたひょうしに「あのモロッコ人たちが・・」なんて言い回しがひょっと出てくるのがここの日常なのだ。

ふらりと入った道ばたの文房具屋さんは、だんなさんがイタリア南部から移住してきた人で「20年前はもっとひどかったんだよ。部屋を借りるにも出身州を見たとたん、貸してくらなかったりしてね」と言う。「同じイタリア人なのに、北と南ってだけでこうなんだから、外国人だったらどうだと思う?」と私に聞く。

「外国人と一緒にやって行きたいなんて思う人は、ブラにはね、『誰も』いないんだよ。」と「だれも」におじさんは強いアクセントを置いて言うけれど、「モザイク」には先生たちだけでなく、若い人たちも手伝いに来てくれているし、「だれも」いないわけではない。でも、「だれも」と言わせるぐらい、たぶんイタリア南部出身の彼は20年間ここで、それだけの経験をしたのだと思う。

明日から私はサルデーニャ行き、2ヶ月間「南の人」です。
頭の中にはまだルーマニア語とこの土地のピエモンテ方言と、英語とイタリア語がまじりあっているのに、サルデーニャ島にいったら頭の中はどうなってしまうのだろう。
いろんな国の人が一緒に暮らせたらどんなに素晴らしいだろうね、と文房具屋さんは言っていたけれど、そんなことは文房具屋さんと私の頭の中だけで実現することなんだろうか。

雪が降ってまた寒くなったピエモンテ州ブラより

脇山みのぶ