ミヌさんのかぼちゃ
怒濤のように1月がすぎ、今年も12分の1が終わってしまった。
年末スーツケースを引きさげてローマに行き、小春日和のような気候の中で裏千家お茶セミナーのテープをすべてチェックし、お正月早々1日1時間だけ外に出るような穴蔵生活をした。
さすがに12日にブラに帰った時にはぐったりして、近郊の駅まで迎えに来てくれたアントニオが「疲れてるねえ」となぐさめてくれる。
コンピューターやらハードディスクやら、かつおぶしや緑茶などの自炊食材まで持っていっているのだから、大荷物になって当たり前なのだ。
列車の6人がけコンパートメント席で一緒になる人とは、何時間も道中を共にするからいやがおうでもお話をする。
朝11時頃ローマを出て、イタリア北部のアスティ駅に着くのが夕方18時ぐらいだから約7時間。
眠ったり本をめくったりぼーっとしていると着いてしまうが、子供なんかは大変そうだ。
ナポリからトリノの小児科に通う8歳の女の子と、だいぶん遊んでお互いに暇をつぶしたけれど、彼女なんかは途中「ここで降りようよ!」とお母さんにゴネていた。
2匹亀を飼っててね、「もし、今ここにワタシのカメを連れてきていたら、コワい?」と聞く。
バゼレッタ(笑わせ話)をいくつもいくつも聞かせてくれて、「あるところに小さな女の子がいました。そこへお父さんがやってきて・・」と最後にはオチのつく話を、ナポリなまりとナポリ方言がまじったイタリア語で言うものだから、そうでなくても子供の外国語はむつかしいのに、「それってなに?」と言葉を聞くと、「おばあちゃんたちがよく使うのよ、方言を」とお母さんが横で笑う。
ちなみに2匹の亀の名前は「タルタ」と「ルーガ」で、つなげると「タルタルーガ」、
イタリア語の「亀」になる。
トリノで母子が降りていくと、コンパートメント席で私はひとりになった。
笑い話が終わった後にうとうとしてたら、いつのまにかトリノに着いて、「降りるわよ!」と聞こえたかと思うと、ふたりはばたばた、と準備している。そのばたばたの間に「じゃあね!」と女の子は抱き合ってあいさつしてくれて、
眠気の残る頭でぼーっとしながら、久しぶりに子供の体のやわらかさというか、生暖かい「生」を感じたのだった。
「タルタ」と「ルーガ」はいい名前だったなあ、なんて思いながら、私もアスティ駅で降りるべく「開く」ボタンを押しても、ドアが開かない。ひとつ向こうの車両まで大荷物といっしょに急いで移動して、ようやく間一髪で降りることができる。イタリアの列車はいつもこんなことばっかりだ。
久しぶりにブラ..という余韻もないままに38度の熱が出る。
そのまま編集作業を夜も昼も続けてやっていたら、2、3日後には熱のあるままサルデーニャに発つ日がやってきた。
さすがに電車やバスで空港まで移動するのも大変だなあ、なんて思うが、こんな時に限って助っ人は見つからない。以前まで下の階に住んでいた主婦のイレーネは「私もアフリカからバカンスで帰ってきたばかりで、疲れがとれないの。」というし、平日の金曜日なので仕事をしている人にとっては無理な話なのだ。
熱のまま出発ーーしかし列車は遅れて、また来ない。
ブラを出てカバレマジョーレで乗り換えるはずが、乗り換え電車を逃して足止めをくう。
後30分したら後発が来るというので、日差しの良いプラットフォームでぼおおっ待つことにする。
するとおや熱が下がってきているような、それまであがったり下がったりしていたので、ここで一発ぐっと下げてしまおう。植えこみの所に座って休憩する。
次の電車に乗ればなんとか空港行きのバスに間に合うはず。。
しかし、そうは問屋がおろさず、またその次の電車まで遅れているのである。
こりゃもうだめだ、と思った私はそこで当たれる人に総当たりすることにし、3日前に送迎してくれたアントニオのおうちに電話をかけて、その彼女のヴェスナから2、3の友人の名前を聞く。ひとりで農業をやってるクラウディオなら今うちで昼ご飯を食べてる時間じゃない?と電話番号をもらった。
何回かヴェスナとアントニオと一緒に会ったことがあるくらいだから、そう知っている友達ではないのだけど、ふたつ返事で飛んで来てくれて、そのまま空港へ直行。
カヴァレマジョーレ駅の前でクラウディオを待つ間に、日本で買った体温計を口に入れて熱を計ってみたら36度6分。・・下がった。
悪いねえごはん食べてたでしょ、と言うと、クラウディオは「あと一口残ってたとこだよ」と言いながらネギの匂いがする。この時期の彼の特産品はネギで、今期のネギがなくならないうちにネギパーティーをしよう、というのが数ヶ月前からの私たちの合い言葉だったのだ。
何食べたの?とまたうつらうつらしながら聞くと、「ニョッキのトマト・ネギソース和え。」じゃがいもと粉を合わせた団子の「ニョッキ」にトマトソースとネギをかけただけ、これこそがうわさに聞いていた、おととしの年末にみんなで食べて、食べ過ぎてひっくりかえったという代物なのだ。
彼は道にくわしく、無理に飛ばさないので、助手席の私は安心して眠ってしまった。
14時にカゼルマ空港に難なく着いた時には、絶対不可能だと思っただろう?とひげづらのクラウディオが笑っていた。
絶対不可能、に感じられることはその後も続く。
サルデーニャ島カリアリ市の聖人エフィーズイオは、私の到着した次の日、1月15日が殉教(殺された)の日で、教会のおじさんたちがエフィーズイオ像を肩にかついで街を練り歩く。
それは1、2時間のことなので、そんなに撮るのは難しいことではないけれど、その後コッキオ(台車)の車輪の修復作業が始まるかどうかが問題なのだ。どうか私のいる6日間の間に始まってください、と願うのだが、教会の牧師さんと木彫師(インタリアトーレ)の間で連絡がうまくいっていないのと、私と牧師さんの間で連絡がうまくいっていないのと、一体全体、今どこにコッキオの車輪がどこにあって、どこまで何の仕事が進んでいるのか?、どこに木彫師の工房があるのか、などさっぱり見えない。
ま、どうせ土曜と日曜は仕事をしないんだろうし、とカリアリっ子の友達が海などに連れて行ってくれるのにまかせて、私も休息するのだけれど、下がったかと思った熱がやっぱりあがる。
やだなあ、はやく下がってくれないかしら、なんて思いながら、おかしな時間に襲ってくる睡魔にまかせて夕方昼寝をしたりする。
どうせ、今撮影が始まっても、体が思うように動かないだろう。反射神経で撮っているような私は、この風邪の間、体が鈍ってると全然だめ、ということに改めて気がついた。
思っているように、カメラが動いてくれないのだ。
それにしたって、「早く連絡してくれないかね」と思うけれど、この「早く連絡してくれないかね」はイタリアでは絶対にかなえられない望みだということもうすうす分かっている。はやく連絡してほしかったら、こちらから連絡し続けるしかない。
小雨の夕方、エフィーズィオをまつっている教会へ足を向けると、教会を管理するおじちゃんが道具小屋をのぞいているのを発見した。
「木彫の仕事ってどうなっているの?」と聞くと、「ああ今朝見に行ってきたよ!」ナニ、やはり始まっているのか。
で、どこの通り?何番地?なんていう人?朝からやってるの、どこまで進んでた?とできるだけ聞き取れることは聞いておいて、明日の朝、そこの工房まで直接行くことにする。
既にブラへの出発2日前。
1日で足りるかなあ、直径1メートルはあろうかという車輪にツル葉の模様を刻み込むというのだから、そう時間がかかる撮りものではないだろうけれど。
気難しい職人だったら嫌だなあ、どんな人なんだろう、とか新しい人に会うのにつきものの "もの憂い”も、空港事件から考えて、「まあ最後にはすべて大丈夫だろう。」と、どこかではわかっている。
木彫師の工房を見つけるのが案外と難しく、小さなジョバンニ通りの右と左を見ながら進む。まだ先かなあ、と不安になった頃にガラス戸の奥にコッキオの車輪が、それも新しく作り替えられたものがあるのが眼に入った。
畳8帖分もないだろうと思われる小さな工房に、ひとりの職人さんが木の削りカスとノミとトンカチと、修復中の木のたんすなどに囲まれて仕事をしていて、そこにもうひとり私も入れば、動く場所もないようなスペースなのだった。
木彫師、インタリアトーレの「シモ」は私が予想していたよりもずっと若く、まだお子さんが20ヶ月だというから、20代じゃないけど30代も後半ではない。木の工芸品や修復品に囲まれつつ、時々休憩にたばこを吸い、あああ、とため息をつきながら、「たいくつな仕事だよ」とか愚痴をいいながら、「でもこの仕事は好きなんだ。」と矛盾するようなことを言う。
ひとつずつひとつずつ葉を削っていくのは、確かに「たいくつ」といえば「たいくつ」かもしれない。
「木像を作ったりする方が楽しい」とシモは言い、船の模型の中に入れるために頼まれた3センチ弱の「こびと像」を私が発見すると、これは試作品、と笑っていた。
午前、午後、と何回か通い、無事「木彫」部分の撮影は終了。
熱ももう完璧に下がっている。
ブラに帰ってくれば、行きと同じく帰りまで、運転を申し出てくれたクラウディオが迎えに来てくれていて、ピエモンテの山脈と、こちらで少し降ったという雪の残りを見ながら、安心してブラへ向かう。
その後1週間もしないうちに念願のネギ・パーティーもして、(例のニョッキも食べて)、ブラはいつものように皆が食べたり飲んだり、働いたり・・。
新年私がいない間に悩みごとで神経がまいっていたパオラは、「あったかいとこに行きたい」と急に10日間の休暇をとってキューバへ行ってしまった。
きのうは老人会のジャコモが突然死んだ、とジョルジョから聞く。「連絡しようとしたんだけど、誰もミヌの携帯番号を持ってなかったんだ。」と、その時にはちょうど葬式の終わった時だった。
ネギパーティーの残りのネギがあったので、かぼちゃとネギでスープを作って、今晩チルコロに持っていこう、とことこと煮ていた夕方、台所の床にしゃがんでごみを拾っていた時に、またジャコモが「あれ、どうやって料理したんだ?」ってからかうかなあと、ふと思っていたのだった。
200年も昔に作られたコッキオの車輪が今年新しくなって、20ヶ月の子供がいる職人がその葉っぱの模様を掘っている。誰かが死んで誰かが生きて、いったい何がどう、めぐっているのだろう。
昨晩食べるはずだったかぼちゃスープは今晩に延期されて、いつもどおりチーズとサラミとワインと、6、7人のかしましい老人が、一緒にごはんを食べるのだ。
またがなったり歌ったり、怒ったりけんかしたり、するのだろう。
日本も寒いようなので、どうぞ体に気をつけて、、
脇山みのぶ