ビチクレッタータ
パオラと私は、この1週間スコンボルタ (かきまわされるよう)な日々を送った。パオラのお母さん、アルバが先週の土曜日の夕方亡くなったのだ。
アルバは72歳で、不思議な女性だった。
この州の出身の人ではないため、ピエモンテ方言ではしゃべらず、私とはイタリア語だが
パオラやパオラのお姉さんとはジェノバ方言で話す。
私にはまったくわからない。
だんなさんが亡くなってから多少うつ気味になり、ひとりで
静かに暮らしていたが、娘たちにはお母さんのことがわかりかねて、
だいぶん苦労していたようだ。
話すことが苦手な人と一緒にいるのが好きな私は、
よくアルバの所に行ってテレビなど一緒に見ていた。
よく、と言っても、若者が時間のある時、となると週にいっぺんぐらいでしかなかったが。。
日曜の夜8時からやっている「刑事コロンボ」が、アルバは大嫌いで、
大嫌いなくせによくつけっぱなしにしていて、
このクレティーノ(ばかもの)あっちにいってしまえ、とかなんとか罵声をあびせながら
よく見ていたものだ。
私が日本から帰ってきたときはだいぶん状態が悪く、9月はじめに入院し、
その後は一日一日と悪化していった。
リーショ、なめらか、という元々の意味があるこの言葉は、イタリアの老人が
踊るペアダンスのこと、アルバは昔だんなさんとよくリーショを踊っていたらしく、
私が持っているリーショのCDを病院へ持って行ったポータブルで聞いていたのが9月半ばまで、
9月末、もう尽くせる手はなくなって老人ホームへ移動した。
リーショを聞きながら、「さわられたくないって!」と言うからなんのことかと
思ったら、リーショの歌詞に反応してしゃべっていただけだった。
生きることに鈍感になると、死ぬことにも鈍感になる。
鈍感になっていると、死ぬことが近づいた時に突然死を受け入れられなくなり、
死がやってきた時に、生きていたことが突然からっぽになっしてしまう。
帳消しになってしまう。
でもアルバは、たとえ最後の日々がいかにブルット(醜い)であったとしても
その寸前までアルバであったことは確かだし、
魂がどこかへ行ってしまったとしても、私たちの目に見えないところに行ってしまったとしても、
私としては、その魂が生き続けていると考えたい。
死ぬことや、病気であることが、ここの人たちが言うようにブルットであるわけじゃない。
死ぬことが哀しいことであるわけじゃない。
その人が目の前からいなくなってしまったことが、私たちには受け入れがたいだけで、
その人はどこかで何かにつながっていると私は思いたい。
未整理なまま書いているため、これにて!
パオラも未だに、すぐ疲れたりぼおっとしたり。。
親戚が来たり、葬式を出したり、友達になぐさめられるのに対応したりして、
死を消化するのに集中できないのはここでも同じだったりした。
私は今日からスイス行き、そしてそのままサルデーニャ直行だ。
脇山みのぶ