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ブラの秋

9月にトリノの空港に着いて、もう1ヶ月もたった。
あの時迎えにきてくれたのは、トルコ人の運転する車だった。
パオラの昔の彼氏はトルコ人で、
その友達のチェロとバルコが1週間遊びに来ていたのだった。

夏の暑さが残るブラのアパートは、「トルコ人のようにたばこを吸う」という
イタリア語の表現通り、ふたりの吸うもうもうとしたたばこの煙でいっぱいになり、
若いカップル、チェロとバルコのくせのある英語で日本についてたくさん質問され、閉口した。
どうして日本は明治レボリューションをしたのか、どうして日本はイラクへ派兵したのか、
どうして日本は西洋化したのか、どうして日本はアメリカと仲が良いのか、等々、等々。。

それらの質問に答えられない私は、自分に対しても、その質問に対してもいらいらし、日本から帰ってきたばかりでまだ日本の空気を体の中に残す身には
なんだか私自身が責められてるような気が、同時にした。

バルコはトルコの大学で映画を学んでいるが、日本についてのゼミに入っていて、この夏休み中に分厚い本を一冊読まなければならないらしい。
諸外国の持つ日本への興味は、日本人の私たちには計り知れないものがある。

こちらに来てつきけられるのは、そんな自分の「土壌」なるものに、どれだけ自覚できているかということだと思っている。

10月1日から6日間、ローマで行われたお茶の裏千家のセミナーへ行き、
色々な国の人たちと話をした。
その経緯をここで説明するのは難しいが、ローマに50年ぐらい住みついて茶道を教えている先生がいるのだ。
今年の5月に知り合ったばかりの「ミチコ先生」というその人は、
今年は絶対にもう撮らないぞ、と決めた私に、「やっぱり今のうちに、、」と思わせた人だった。

6月、7月、8月とうじうじ考え続け、えいやっと電話したのが
10月のセミナー寸前2週間ほど、もういっぱいなのよ、アメリカやドイツやブルガリアからみんな来るのよ、とミチコ先生が言ったときには、なんだかすごいことになりそうだな、と予感した。

なんとかねじこんでもらって先生の合意にこぎつけ、ジョリートさんと日本へのお礼状書きなど終わらせて、やることをいっぱいためこんで旅立ったのが9月末。
パオラとは、家賃のことや、チェロやバルコが来ていた間のささいなことで口論して、こんなに声高に意見が言えるようになったなんて、
私も1年ここに住んでだいぶん強くなったもんだ、と思った。

秋の始めに家を探して、寒くなる前に引っ越す。
そういえば昔小金井に引っ越した時もそうだったかもしれない。
スローフード協会の作る大学が10月4日に開講するため、70人位ブラには若い人口が増える。
ゆえに部屋を探す人も増えるので、私はその前にひとりで住む場所を探し始めたのだった。

誰かが来て、去って行くというのは、ーーたとえ円満解決でもーー思った以上に厳しいことなのかもしれない。
パオラにとっては、私が出て行くってことはとってもきついに違いない。
それは口論したり、色んなことを言い合ったりしないとわからないことだった。

ローマ行きの夜行は、そんなこんなをすっかりしょいこんで、トリノから出る。

早朝着、コロッセウムなどを見てから一晩からだを休め、次の日からセミナーへ。
ローマ郊外の修道院でやるというのだから、畳や茶道具などどんどん車で運びこんでいく。

集まった人たちは、世界中とまでは言わなくても
かなりインターナショナルな顔ぶれだった。
ドイツとスイスとカリフォルニアとオーストリアと、イタリアと日本とブルガリアとベルギーとフランス、それからアイルランドから飛んできた人も、
いっきょに集まってお茶のけいこをし、朝晩座禅をするのだから、
なんとも不思議だ。

でもそんな不思議さも、お茶というひとつの型というか、何か共通したものを通わせているから、国籍の違いや仕事だとか、何歳だとか、とか、全く私には気にならず、心地よかった。

ブラにいて、何がきびしいかって、いつもいつも同じ顔ぶれが、
あの人はどうとか、この人はどうとか、気がつくと田舎話に花が咲き、
私もついついその輪の中に落ちいることが多いのだ。
聞くことがつまらないのではなく、自分もその話題に逃げるからつまらないのだ。

ローマの友達のうちなど行ってごはんを食べていた時、近所の話題が出ないね!と驚いたことがある。同僚の話ぐらいはするけどね、とフランチェスカのパパは言っていた。

何が大事だっていうのだろう。あの人がとか、この人が、とか。

お茶をしている時、あの人、この人、そして自分、の境界線は限りなく淡くなっていき、あの人もこの人も、そして自分も、まるで景色の一部のようになっていく。

そして、たとえ景色の一部になろうとも、「私」は限りなくはっきりしていくのだということも、このセミナーで学んだことだった。

撮ったテープも限りなく、22時間ほど続く。
準備したテープが途中で足りなくなって、こんな僻地でどうするかと思ったが、たまたま修道院の近くに写真屋さんがあって幸運だった。

お茶を愛する人たちは、私の想像を超えてお茶を愛しているらしく、夜中の0時、1時まで
楽しそうに「自主連」してしまう。
ミチコ先生と彼らのつながりもおもしろいし、ミチコ先生という人も希有な人であることには違いない。

セミナーの間は英語が共通言語だったので、しばらく英語で話していたが、自分の言いたいことがすんなり出てこないのにいらいらする。
だいぶんさびついたわね、っていうことよりも、きちんと自分の言葉になっていないかんじがする。
ブラガリアから来ていたオギとエミールは、かなり英語が上手だったが、それは
文法がしっかりしているとか発音がいいということよりも、言いたいことを言い切る、という
率直さにあるような気がした。

言い切ってないのよね、と自分の言葉に対して思うのは、なんだか時間のかかりそうな
課題だと思った。

結局セミナーが終わった後、2晩も修道院ですごした。
疲れがひどくてぐったりしたのと、夜行で帰るのをやめて日中の電車で帰ることにして、
時間が余分にできたのだった。
修道院のまわりはほとんど山や畑なので、秋の始まりの夜空を見るには最適だった。
たとえローマの中心部からバスで40分はかかるとしても。。

ブラに帰ってきて、またここでは近所の話題とささいな愚痴で
世の中がまわっている。
世界で何が起こっているかもへたすれば気がつかないし、
世界で自分がどうしていくのかも、楽をすれば、考えない。

でもね、やっぱりここにはちゃんと助け合う人たちがいる。
近所の話題も、あの人は元気がない、この人はどうした、と言っていれば、何かというときには役に立つ。
7日から東京のサトコさんが遊びにきていて、パオラは車で迎えに行ってくれるし、その道がわからなければマシューが教えてくれるし、ちょっと飲みに行けばステファノやマルコが「帰ってきたのかーっ」てからかってくれるのだった。

おとといは老人会でタイの煮付けと炊き込みご飯を作った。サトコさんはピエモンテ方言らしく「サトゥ」になって、私の「ミヌ」とコンビになる。
秋の味だなあ、って感じる以上に、秋の匂いが、炊きあがるご飯の湯気からしたのだった。

明日からはミラノに行って、外国人滞在許可証の更新や、お茶の人たちがデモンストレーションをするのを少し手伝ってくる。「サトゥ」さんも1週間ブラでぼおおっとした後、ついにミラノから発つ。
たいしたおもてなしはできなかったけれども、ブラでお茶を飲んだり目玉焼きを食べたり、誰かとおしゃべりしたり、ごはんを作ったりすることも、大切な日常に戻るということで、よかったのではないかと思う。
何もパスタ食べたりワイン飲んだり、ローマに行くってことだけがイタリアってわけじゃない。。

それでは、なんだか1ヶ月すぎた分をまとめて書いたため、支離滅裂かもしれませんが、お許しを!これからまたブラを発ちます。

脇山みのぶ

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