朝4時半にジョリート氏から電話、「長い旅行だったけど、うまくいったよ。」との声が聞こえてくる。
帰ったら電話するとは言っていたけど「朝起こさないでね」と言ってあったのに
やっぱり時差の計算を間違えたらしい。今午前4時半なんだけど、と言ったら、そんなはずは、とジョリートが笑っていた。イタリアが先か日本が先か、7時間の時差があるイタリアが夜の9時半なら日本は次の日の朝4時半、奥でジョリートの彼女のオリエッタが笑っている声がして、ブラのいつもの空気がドコモの携帯の奥にあった。
15日間の日本滞在は、異常気象の東京の暑さに負けそうになりつつ、なんとか終えることができた。
7月13日にパリ経由で成田に入り、早朝の空港の蒸し暑さにうろたえながら、札幌の涼しい日々を楽しみ、それでもその後の東京ハードスケジュールに思いをはせずにはいられない私であった。
そもそも、4月にブラに帰った時に「日本にバケーションに行くことにしたぞ。」とジョリートに宣言された私は、9月までブラにいるつもりだったのに、予定変更を余儀なくされた。
「なんでいきなり行くことにしたの?」と聞いたら
「いや、なんとなく決めたんだ!」と自信満々なお答え。
「やっぱり一緒に行った方がいいんだよね?」と聞くと
「ひとりではこわいなあ。」との自信なげなお答え。
かくして7月の出発にむけて、ブラでは日本行きの準備が進められたのだ。
日本は暑いからね、蒸すからね、と再三言ったつもりだったけれど、
ジョリートもここまでとは思っていなかったらしい。用意していたものは長袖のワイシャツや、夏用のジャケット。
次に日本に来る時にはもっと軽いものを持ってこよう、と旅の終わりに反省していた。
メタ・ヴァカンツァーー半分バカンス、半分仕事、というつもりだったジョリート氏に、それでは、とばかりに様々な企画をたて、北海道では日伊協会北海道支部でのチーズの会、東京ではチーズ屋さんのフェルミエさん、埼玉の食育団体もぐもぐさん、とメタ(半分)なのか、3分の2ぐらい仕事なのか、ジョリートとしては、東京に来てからのストレスたるや、暑さとあいまって大変なものがあった。
札幌の涼しさは極上で、成田のあのむっとした空気を思えば天国のよう。ジョリート氏は刺身もスシもくじらも焼き鳥も、日本のおいしいものはすべて堪能して、日本酒の味を覚えたころに、時差と疲れで「夜眠れない」。朝は二日酔い(らしきもの)でぐったり、こんなんでチーズの会の準備はできるのだろうか?通訳をする予定になっていた私としては、「何話すのか、早く教えてください。。」状態である。
合間合間に、会っておくべき人は会っておく。
北海道の企画をたててくれたケイコさんの知り合い、雑貨屋カフェ「私の部屋」オーナー近さん夫妻を訪ね、町なかに実現された自然空間にジョリート氏はしばしくつろぐ。山が好きなジョリさんをぜひ日本の山に連れて行ってあげたいと思っていたけれど、なかなかそれもかなわず、「私の部屋」の庭でジョリさんがぼおっとしている時が一番「山状態」だったかもしれない。
由仁(ゆに)町の「三田村農園」の三田村さん、指導教室つきの一般人向け菜園と、子供が体験できる畑やたんぼを見せて頂いて、研修中の男の子と三田村さん、けいこさんとジョリさんと、日本の農業のこと、イタリアのアグリツーリズムのこと、スローフードのことなど、ハウスの中で語り合った。おいしいトマトやきゅうりまで頂き、本当にごちそうさまでした。
日本の食べものに興味がありつつも、やはり「パンが恋しい」というジョリートさん、その日はブラ近くリグーリア州から来ているイタリア人シェフに会いに、ホテルのレストランへ。久しぶりにイタリア語で思いっきりしゃべり、パンも思いっきり食べて、次の日の本番へスタンバイ。夜10時すぎに帰宅して、座る間もなくチーズの本を開き、「さて」、明日話すことはーーと、とうとうと語り始めた。
最後の瞬間まで準備しないイタリア人らしく、というのか、やるときにはやる、というのか、その夜のジョリート氏の集中力たるやものすごいものがあった。1時間半あまり、10種類のチーズの歴史、工程からブラの街のチーズ流通の歴史まで、明日説明することを私に吹き込む。いつもジョリートとチーズについて話をしているつもりの私でも、ジョリさんこんなに知ってたんだ、(チーズの熟成を30年以上やっているのだからあたり前とはいえ)感心するやら、話のおもしろさに引き込まれるやら。
しかし、その話のおもしろさも、通訳がうまく伝えなければ、すべてだいなしである。やると引き受けてしまったが、ふたをあけてみないとどんな風にやるのかは私にもわからない。
当日、「眠れた?」と聞くと「眠れなかった」とのお答え。
この「眠れない問題」は、結局旅の最後まで続くのだが、マッシモ(最高)ではないとはいえ、いつもジョリート氏はなんとか乗り切ることができたのが不思議である。
日伊協会というと、かたい、というイメージしかなかった私だが、協会の幸正さん筆頭に、北海道支部の会員さんたちは和気あいあいとしている。会員さんに一般の人も含めた40人程の人たちに向かって、男女共同参画センターの大きな料理室でホワイトボードにピエモンテ州の地図を書きながら、ジョりさんのチーズ会が始まった。
ブラ・テーネロ、ブラ・ドゥーロ、羊飼いアルドのチーズ、ソーラ、カステルマーニョ、ロカッヴェラーノ、ラスケーラ、と順々にチーズが続く。合間合間にジョリートさんはギャクをとばし、それを訳すわたしもといつもと変わらぬジョりさんの様子に、この人はまた言っているヨ、と安心して通訳ができた。
無事に終わった北海道の企画も、日曜日に温泉に入ってゆっくりしたら、もう月曜日には東京へ、もう少し自然を見せてあげられればよかった、とも思う。
築地の駅に降り立った時、地下鉄の路線図を見ながら「この緑はナンダ」と皇居の部分を指して言う。
そこはエンペラトーレがいることろでね、、と説明しながら、でも皇太子の奥さんは今ディプレッション(うつ状態)で、と言うと、「オレが1週間つきそってやる、そしたら明るくなってすべてオッケー」だと。
またまた、と笑いながら、なまじ冗談でもないな、なんて思う。
何せ、彼と昔つきあっていたブラの女の人を知っているが、ひどい落ち込みぐせのある人で、でもジョリートとつきあっている間だけは元気がよかったというのだ。
躁(そう)状態はわたしにも。
北海道の5日間がすぎ、首の湿しんがよくなってきていることに気がついた。たいてい日本に帰ってくると悪くなるのだが、北海道の気候がいいとはいえ、なぜだろう?と考えていると、これはジョリートのせいだな、と気がついた。なんといっても、どんな大変な深刻な状況でも、ひとつはギャクを入れないと気がすまない性格、あちらに電話し、こちらにFAX、携帯メールし、というせわしなき企画の日々でも笑いにあふれていたことは確かだ。
東京では、予想を超える温度の日々。イタリアのさらりとした暑さしか知らぬジョリートには3倍も4倍もきつかったに違いない。
それなのに、私のスケジュールの組み方ときたら、まるで「日本のビジネスマン」(?)のような分刻みの様相。愛宕山のフェルミエさんに行き、上映会に参加してもらった後は、築地から武蔵野に宿を移し三鷹で私の友達たちが集まるのに来てもらう。お昼にフェルミエ社長とごはんを食べた後は、日比谷のカフェドモワさんに顔を出して、貿易振興会とのアポイントメント。そのまま青山へかけつけてリストランテでのチーズ会。ごめんね〜大丈夫かな?と思いながら、タクシーやら地下鉄やら乗り回し、すっかり東京のせわしない生活を体験させてしまった。
でも、ジョリートがいくら大変だと言おうと、これが必要だと私は思っていたし、なまじ彼が「日本のチーズ市場」を知りたいのならば、私たちがどういう生活をしていて、どういうものを食べて生きていて、どういう時間感覚で暮らしているのかがわからなければ、輸出も輸入もないだろう、との思いだったのである。
札幌ですでにデパ地下のチーズ売り場をのぞいたジョリートの話。「こんなに値段が高く、小さいパックでしか売っていない」ということが驚きであることはもちろん、ーーそんなことは2年前に伊勢丹イタリア・フェアに来たときにわかっていたとは思うがーーある北海道の小さなチーズ屋さんをのぞいた時の感想。
「アルドと違うな」ーーDIVERSO DA ALDO ディヴェルソ・ダ・アルド--。 それってどういうこと?と半ばわかりつつも聞いてみると、チーズ売り場にソフトな音楽がかかってたり、きれいに可愛くパッケージされていたり、羊を飼いやぎを飼い、山の暮らしをしながらチーズを作って売っている、羊飼い「アルドの生活」から出るチーズとは「違うもの」としてチーズが日本では存在する、ということ。
それが北海道で得たジョリート氏の見解であった。
でも、だからこそ、そこに私とジョリさんが来た意味がある。
サルデーニャのアントネッロが撮った「山の声」は、彼の目的としてはチーズの工程を見せるものでも、食べ物について伝えるための映像でもないが、結果として「山の暮らし」が静かで調和のあるものだということをしっかり伝える。
サルデーニャから上映ぎりぎりに届いたDVDを試写するため、築地の和風旅館、大宗(だいそう)さんの和室の土壁にプロジェクターで映し出す。ヤギの大群、チーズのうかびあがる水の音、DVDが届くまで紆余曲折あっただけに、土壁に映像がちゃんと出たときにはうれしかった。
それを見ながら、暑さにぐったりしつつも縁側からひとこと声をかけるジョリート氏、「なぜこの映像にBGMがないかということをちゃんと言うんだぞ。それはなぜかと言えば、山の暮らしがこうだからだ。」
「山の暮らしがこう」と言っても、その「こう」が思い浮かばないのが私たち現代人だ。それは少しでも映像を見て感じ取ってくれればよいが、上映会当日は映写の準備だけにばたばたして、その映像の背後にあるもの、サルデーニャの暮らしや人の様子、なぜ当時24歳のアントネッロがこの映像を撮ろうとしたかなど、そういういうことがちゃんと伝えられなかったような気がする。
大量の荷物を持って移動することに私は既に慣れてしまったけれども、ジョリートはびっくりしていたに違いない。タクシーの力を借りなければどうにもならない4日間だったが、涼しいタクシーの中は休憩と反省と、静かな対話のできる貴重な時間だった。
TUTTO QUANTO SERVE トゥット・クアント・セルベ、すべてのことは無駄ではないよ、と本人も疲れているはずのジョリートが私に言ってくれた言葉である。タクシーの涼しさとあいまって身にしみるような言葉であった。
それにしたって、今こうして東京で走り回っていることが、すぐに「利益」にむすびつくわけではない、というのが、商売人ジョリートのいらいらでもある。彼はチーズの伝道師でも、チーズ愛護協会の人間でもなく、あくまでも「チーズ屋さん」なのだ。しかし、人間のつながりなくして、なんの商売ができようぞ、東京にバカンスに来ればすぐにチーズが売れるなんて思ってなかったでしょ、と私もやりかえす。
ジョリートがここぞとがんばらねばならなかったのは、金曜日の夜、青山のリストランテでフェルミエさんが企画してくださった「ジョリートを囲む会」、18時に会場入りしてどうくつ風?の内装を見たとき、こんなおしゃれなところで会をやるなんて、ブラみたいな小さな「田舎」の者(わたしもふくめ)としては相当ラッキーな話だな、と私は思った。
その空気を感じ取ってジョリさんが珍しく緊張しているのも、私にはわかる。
今日はプロの通訳の方がつくので、私はジョリさんから離れてビデオ撮影係になる。前菜、パスタ、とチーズ試食前の料理を、友人が来てくれたテーブルで悠々と堪能した。
フェルミエ本間社長の人脈で集まった人々、フェルミエ・メンバーの方々など、30人ばかりがゆったりとした雰囲気で会食し、ジョリートさんも楽しい雰囲気で話せたと思う。がんばってるがんばってる、と見守っていると、試食の合間のおしゃべりタイムにテーブルの横に来て「こんなんでいいか??」
ヨイヨイ、このまま行ってヨイ、と言いつつ、いつも憎まれ口たたくくせにこんな時だけ里心つくんだねえ、となんだかおかしかった。
アルドと違う、と言われた日本のチーズ現場、都会的なリストランテの雰囲気の中で、どれだけ山の臭いが伝えられただろうか?
私はジョリートがこの会で言った「自分は山の暮らしにあこがれるけれども、その暮らしができない人間として、チーズを作る人たちを尊敬する」という言葉がいちばん正直でよかったと思う。
今わたしたちがこうして都会でかけまわっていることを、山羊や羊に囲まれているアルドやマリレッラ(羊飼いの奥さん)はどう思うだろうか?
一仕事終わって、また一仕事。ここでまた私のスケジュール管理が問われる。青山で夜遅く会が終わったら、次の日朝から埼玉の浦和へ。「え、またホテル移動するの!」と怒られる私はなんとか移動しないですむ手だてを帰りの中央線の中で考えるが、そんな私の様子を見てジョリートは「わかった、予定どおりにしよう。。」とホテルへひとり帰っていった。
埼玉へ向かう朝の電車は、反対方向とは言え混んでいる。座れると思ったのになあ、と思いつつ、腰痛もちのジョリート氏の腰が痛まないことを願う。でもそんな中にも、もっともっと年取ったおじいさんが席に座れず手すりにつかまっている。朝のラッシュでは座席に座っている人は眠るのみ。これから話すスローフードのことと合わせて、考えさせられざるを得ない。
「子供とお母さん」40人ほど、どのように「スローフード」について話すのか、お母さんだけならまだしも、様々な年齢の子供も混じっている。こりゃあ難しいよ、ということに気がついたのはほんの数日前。スローフードについて話すのだけでも一苦労であるのに、まったく違う位相の人がまじっているというのはとてもやりにくい。だいいち子供には「スローフードってなあに?」という講演のタイトルさえ、心の中に疑問として存在しないのだ。
こんどの企画は「EXPERIMENTALE イクスペリメンターレ、実験的になるからね」とジョリートに前もって言う。子供がいるなら、ホワイトボードにやぎや羊や牛の絵を描こう、とジョリートが提案する。ジョリさんはチーズ屋さんになる前、絵を勉強したかった人なのだ。居酒屋でいたづら書きなどするとなかなかうまい。
チーズが羊、牛、ヤギの乳からできていること、夏の間草を求めて動物たちは山の中を移動すること、イタリアは地域によって何種類ものチーズがあること、ブラという街は山に囲まれていてチーズが豊富であること、等々、ジョリート氏とかけあいで話す。移動放牧の例はアルプスの少女ハイジのペーターに例え、ひとつのチーズを作るのに必要な乳の量は何リットル?と問いかけ、チーズだけでなくブラの特産のお菓子や給食のことなどについても話す。お母さんたちはうなづいてくれるが、やはり子供たちは机上でお絵かきに夢中。最初から百点満点、というわけにはいかない。
ひとしきりチーズの話が終わると、「それでは」埼玉のこの土地でおいしいものは何なのか?と会場のお母さん方に問いかける。一瞬びっくりしたようなみなさんだったが「オカボ」とのおそるおそるしたお答え。
オカボ、ってなんですか、すっかり農産品の答えを予想していた私もまたびっくりしたが、それはきなこをまぶした棒状のお菓子だとのこと。
こうやってお互いの土地について、お互いの食べ物について考え合ったり、自分の暮らしについて考えることが、スローフードなのではないかなあ、というのが「私の意見」なので、あえてそういう質問をしたが、チーズがイタリアがという話に終わらず、違う部分にも響いてくれたような気がするので、よい会だったと思う。
5月から続く一連の子供の事件、今年だけではなく、何年か前から続いている。ちょっと待って、おかしいよ、と思っている人は少なくないと思う。
でも、子供が育つ難しさ、子供を育てる親の難しさといったら今の日本はよっぽどだと思う。ジョリさんと私が2時間しゃべり、羊飼いの映像を見せて、チーズを食べてもらったからといって、何が大きくどう変わるというわけではない。でも、ひとりでも、少しでも「風」を感じてくれる人がいればよい、というのが、やる前と終わった後の、いつも変わらぬ思いだ。
埼玉の2時間が終わって、もぐもぐさんのお母さんメンバー、お子さんたちと中華料理を食べて、おりがみのプレゼントをもらって。。そのうれしかったこと、おいしかったこと。でも眠さは絶好調、ジョリさんのみならず、もうグロッキー状態であった。
これですべて企画は終わり、後は田舎でのんびりしよう。千葉へひと晩立ち寄って、名古屋を通って三重県へ。うちの母の実家、昔の人が修学旅行に行った「夫婦岩」の二見浦へ向かう。年々観光客が減って、今年のふたみはまた本当に静か、海はあるし山は近いのだが、人はいない。「死の町」だな、こりゃ、、と久しぶりに訪れた私もそのあまりの静けさにびっくりする。
でもそれぐらい「静止」している町だからこそ、東京、名古屋と、常に稼働している街を通ってきた後は落ち着く。ジョリート氏と私は口もきけないぐらいにリラックスした。
どんどん汚れていく海、でも、まだまだ泳ぐことはできる家の前の海水浴場でひとおよぎし、夫婦岩を見て、昼寝して、テレビも広告も新聞も読まずにヒグラシの音だけ聞いた。
カナカナカナという声に「携帯が鳴ってる!」とはジョリート氏、せみの一種だって、、と説明する。
外で食べ続けるというのはなかなか疲れるものだ。そりゃ本格的に作られたものや、おいしいものは幸せも運んでくれるが、自分で作って食べる楽しみはない。
着いてから12日間、まったくお料理してあげる機会のなかった私だが、ここでひとつ「しゃぶしゃぶ」でも。(しゃぶしゃぶは「作る」に入らないかもしれないが)2年前来日した時においしかったのでまた食べたい、と言われていたのだ。三重という土地柄、松阪牛をスーパーに買いに行く。
ブラのあるピエモンテ州も牛肉の産地だ。生で食べる牛肉のソーセージ、”サルシッチャ“ なんて、乳母車の子供でもしゃぶっている。よく肉屋さんで質問されるのは、「日本ではビールで牛を育てるんだって!」ーージョリート氏もそれを見てみたい、とのお達しであった。
牛に出会った後にしゃぶしゃぶを食べるのはいやだから、今晩のうちに食べておこう、と1パック●●円の牛肉パックを奮発する。二見に行くのなら、という母の支援がなければできない夕食である。
明日松阪牛の生産者のところまで連れて行ってくださる友人の小野さんも一緒に、こぶだしの中で牛肉を泳がせる。2年前においしかったしゃぶしゃぶもこんなだった?と確認しながら、たれの調合や野菜の種類、肩肉がうまいかモモ肉がうまいか、討論しながら食べるしゃぶしゃぶは、なかなか静かな喜びがあった。
次の日、朝から松阪牛に会いに行く。8頭の牛と山の中で暮らしている栃木さん。茶畑が窓から見える静かなおうちで牛と暮らしている。牛との生活や松阪牛の歴史の話を聞きながら、栃木さんの育てた三重産のお茶を頂く。冷たくておいしい。
ビールを飲ませるのは食欲増進のため、やはり牛とはいえ夏は体力も食欲も落ちるから、体重が減ってしまうらしい。焼酎でマッサージするのは「まあ誰か来た時にやるんだな」とおじさんは正直だった。牛1頭につきビール1本、牛の体の大きさから言ったら、そう多くはない。酔っぱらうという風情でもない。
ワラがしいてあり、木わくの戸の奥にゆったりとしたスペースで牛たちが住んでいる。効くか聞かないか知らないけれど、牛たちは天井のスピーカーから演歌も聞いている。おじさんの好みである。
実は昨日食べたスーパーの牛は「松阪牛」ではなかった。「黒毛和牛」とだけ書いてあった。黒毛と聞くと何か「自然なかんじ」がしてしまうものだが、いったい何が黒毛なのか?どこでどう育った和牛なのか?全くわからず、だしの中にほうりこんで食べてしまったしゃぶしゃぶだった。
最後の日は大阪で焼き肉を食べた。
イタリアでは愛を語り合うためにリストランテへ行き、さわがしいところには食べに行かない、「だってうまく語り合えないじゃないか」とジョリート氏は言うが、日本の焼き肉屋はカップルでいっぱいだった。
最後の夜は日本のものが食べたい、と言われて迷った末の焼き肉だったが、でもこれは韓国のものだったね、としみじみ七輪の牛タンをつついた。
15日間苦楽を共にすると、いなくなると火が消えたように感じる。
大阪の伊丹空港でアメリカンベーグルの朝食を食べた後、「すっかり日本のコーヒーの味に慣れてしまったから、イタリアに帰ったらエスプレッソがまずくかんじるかも」と言いつつ、冗談で泣きマネをしながら手荷物検査の奥に消えていった。
たった15日間で、これだけ寂しく感じるのだから、だんなや奥さんを亡くしたブラのひとりものの老人たちは、どれほどさびしいのだろう、と始めてわかった気がした。
日本でお世話になった方たち、私を助けてくれた友人たち、ジョリート氏に会いに来てくれた方たち、本当にどうもありがとうございました。
ブラでは、いつものように朝の市場と昼の静けさと夜のごはんが続いています。ジョリートさんも、日本、東京を見た後で、ブラに対する何かが変わっているかもしれない。
9月に行く時にはちょうど彼の誕生日、51歳なので、よくよくそこのところ聞いてみよう。
のどもとすぎれば、で「日本は涼しくてよいとこだった」と言ってくれるかも、しれません。
脇山みのぶ