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2004年01月24日

お知らせ&パスタ..

東京は雪か、いいなあなんて思っていた先週の日曜日、こちらも大雪が降りました。
ぼたん雪のようなのがどしどし降って、道は雪でうまって、それから一週間、今日の金曜日まで
毎日曇りか雨、小雪、と「家にこもるにはぴったり」の天気が続いています。

「かぼちゃ」も大詰め、コンピューターの調子は悪いながら、がんばっております。
あまりにも寒いので、一番暖かい台所で仕事をすることにしました。
窓からレンガ作りの大きな小学校が見えるので、雪景色を見ながらコンピューターに向かうのは
なかなか風流です。。

この小学校、以前5月に来た時に中を見せてもらったのだけど、ほんとにクラッシックで、、
きっとこの小学校も寒いのだろうなあ。でも子供の熱気で暖かいのかも。。

小学校の窓の奥に、カラフルな子供たちの絵や、明るい色の壁の色が小さく見えて、とてもきれいです。特に暗くなって、子供たちが帰った後、窓の明かりだけがぽっかり浮かんで見える時がいちがんきれいです。

その小学校の風景を見ながら、又はその風景に目もくれずに書いた、、原稿が、「日刊ベリタ」というサイト新聞に出ているので、ぜひ読んでみて下さい。
この4月にある“チネマ・コルト・インブラ" 、ブラ短編映画祭のことを書きました。
「日刊ベリタ」は結構かたいかんじのする、がっちりした新聞ですが、ブラから記事を送るということで海外記者にして下さいました。。ブラでは大事件は起こらないので、、時々しか書かないのだけれど非常にありがたいことです。。

ステファノ・サルドという映画祭の中心人物が下の階に住んでいるので、インタビューも20歩ぐらい階段を降りるだけ、そう難しくないはずです。。チネマ・コルト・インブラのPRは、日本はじめアジアではなかなかできていないので、広告もかねて、記事にしようよ!という策略をステファノと立てたわけです、が、6時から、と言ってたくせに、遅刻魔のステファノ・サルドは6時半に帰って
きました。。いつものことです。。

報道記事なんて書くのは初めてだったので、結果として大変苦労しました。次の日なんとか書き上げて、、
彼の年齢がうろ覚えだったので、いやしかし、確か32歳、、と思ってそのまま書いたのが気になって、HPにアップされた日に「いくつだったっけ?」と聞いたら「明日誕生日で32歳」とステファノ苦笑。
良かった、当たってた!と私、微笑。

とにかく、たいしたことは書けなかったんですが、、(おまけに大事な「日にち」を書き忘れてます)
良かったら読んで下さい。
読者登録をしないと読めないシステムになっていて、おまけに30円かかるようになっているけれども、
おもしろい記事の多い新聞です。

ベリタHPトップ
http://www.nikkanberita.com/
記事トップ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200401211703403


ベリタとコンピューター問題でばたばたしてるうちにもう明日は土曜日です。。

「かぼちゃ」のことはまた報告します。

今日はお昼ご飯を、電気屋さんのアルマンドのおうちに行って食べました。
いつもおうちに帰ってご飯を食べる彼は、13時位にブラを出て13時半過ぎから14時半過ぎまで食べて、15時ぐらいにお店に戻ってくるわけです。

アルマンドが突然私を連れて行ったので、奥さんは、今日は肉がなかったのよー
と肉なしラザーニヤを出してくれたのだけど、さっぱりしてておいしかった。。
パスタ・アル・フォルノ(オーブンに入れたパスタという意味)ってこちらでよく呼んでるけれども、私はラザーニアという名前でしか知りませんでした。幅広パスタの間にミートソースなどがはさんである、重ねたフトンみたいな食べ物です。
オーブンの中に入れてアルマンドの帰りを待っていたせいで、パスタのはしっこや表面がぱりぱりになっていました。
「乾いちゃったのよね」と奥さん。。
でもね、おいしかったです。


日本も寒いそうなので、みなさんあったかい食べ物など食べて(鍋とか、、!)あたたまって下さいね。

脇山美伸

2004年01月20日

かぼちゃタイトル

コンピューターの調子が悪く、少し悲しい脇山です。
でも頭ははたらかせなくっちゃ・・。タイトルを決めなければなりません。
頭が真っ白になったときにようやくいい案がうかぶってものらしいけど(たぶん)、きのうお茶を飲んでいたら「ますさんのかぼちゃ」という気持ちが
浮かびあがってきました。

どうでしょうか?
(見ていない人、よくわからないかもしれなくてごめんなさい。)

「ますさんとかぼちゃ」ではなく、「ますさんのかぼちゃ」なのね、とかうちさんに
確認されましたが、そうですね、私は「ますさん<と>かぼちゃ」ではない
ような気がします。

イタリア語の題名の方も、あわせて考えなければいけないのだけど、
いい具合に、今日パオラが「題名は何にするの?」なんて聞いてくれたので
「日本語では“ますさんのかぼちゃ”になりそうなんだけど
イタリア語では“スィニョーラのかぼちゃ”とか変えた方がいいよね、
ますってわかんないだろうから。。」と言ったら
そんなことはない、MASUのズッカ(かぼちゃのこと)でいいではないか、
日本のおばあさんなんだし、
というのが彼女の意見でした。

“ラ・ズッカ・ディ・マス”になるのかな?

凝った題名を考える必要はないわけだし、、ますさんの名が国外に広がれば、それはよいかもしれない。
千葉県松戸市平賀の内野ますさんは83歳のおばあさんですが、そんな会話が
遠いイタリアでされているとは思ってもいないでしょう。。

今週はまだまだ字幕入れに苦労しそうなので、道のりは長いです。
でも題名の文字入れもがんばって始めないといけないと思っています。。

ますさんの試作版を見た方も見ていない方もどう思われますか?
「ますさんのかぼちゃ」


また明日でも、、書きますね。

2004年01月15日

どうして文字化けするんでしょうか

もういっかいテストです。テスト用の書き込みです。悪しからず。。

通知のお知らせテストです。

通知のお知らせ、設定してみました。
いまから送信テストしてみます。

わきやま

2004年01月14日

ブラの日曜日

近郊のラ・モーラから帰ってきて、ブラの日曜日の午後を過ごしました。
ほんとはひとりでぐったり眠りたかったけれども、私の部屋は昼間寒すぎてとても昼寝をする気分にはなれません。いちばん暖かいのは台所なので、台所でぼぉっとしたいところですが、パオラが見途中の映画 “パリ・テキサス” を居間で見るというので、私はそのBGMを耳に入れながら台所のヒータのそばで足湯と目と首の温湿布をしました。

疲れていると言っても、昨日は6時間ぐらい寝たじゃあないの、と思うのですが、
どうもやっぱり夜中に作業をするのはよくないらしく、お腹はすいても食べる元気が出ません。それでも目と首の疲れをとるだけで大分すっきりし、眠気もとれて、16時とは言え太陽も出ているし、夕方のブラを散歩してみたくなりました。

たいしてやることもない冬のブラでは、休日の夕暮れ時をぶらぶらと散歩している老人や子供たちがちらほら見られます。私の住んでいる、ブラの目抜き通りの”ヴィットーリオ・エマヌエーレ通り”は、街の中心部に背を向けて歩いていくと病院やガソリンスタンドを超えて、人気の少ないブラ郊外へ抜けていきます。

ほほに冷たい空気が気持ち良いぐらいの寒さで、疲れも歩いているうちにとれてきて、どんどん歩きたくなって、ついには、誰も人がいないところまで行ってみたくなって、サンミケエレという集落まで坂を上ってしまいました。片道30分ほどです。すっかり葉っぱが落ちてしまった大木や、大きな邸宅の広い庭などを見ながらどんどん上ってしまいました。

いつもいつも人に囲まれているというのは、それなりにストレスなもので、いつのまにか、気を使い、神経を使っているんだなと思うことがあります。ブラから出る時、車窓から流れて後ろに行くブラを見たり、都会に出て歩いていたりするとほっとする時があります。それは、東京のように “たくさんの人に囲まれて” くる疲れとはまた違って、コミュニケーションの密度の濃さからくる「疲れ」で、ぐったり疲れる、とか力を奪われるとかいった類いのものとは違います。100m歩けば誰かに会い、チャオー元気?と言い、今日はどうしてただとか、明日はどうしてるだとか、一緒にご飯を食べないかだとかいうのは、ひとりっきりで何にも気を使わなくていい、というのとは全くちがう。

コミュニケーションっていうのは難しいものなんだな、心をくだくものなんだな、めんどくさいし、だからそれから逃げたくなる、それはブラにいて、また改めて思ったことです。日本のように、周りに気を使うだとか周囲を気にするということでもなく、ただ「人の中にいる」ことから生まれるコミュニケーションは膨大なものです。そしてそれだけ難しいものだからこそ、そういうものをはぎとっていったのが、都会というものなんだろうなあ、と思います。

いつもいつも誰かと一緒にいるのが好きなタイプでもない私は、ブラに住むことにしようかどうか迷った時に、このことが一番気にかかりました。ひとことで言えば、「息苦しく」なるんじゃないかなあということです。
5月にここに来ていた時、友達のヴァレンティーナ(26歳)はこういいました。「ブラでひとりでいるなんて、全然ここにいる意味ないわ」。ここでは楽しいことはみんな「誰かと」いる中にある。誰かとごはんを食べ、誰かと一緒に散歩し、誰かとしゃべる。でも、なおかつ私は「ひとり」の楽しみもちゃんとキープしたい。
ブラに移り住んでいるアメリカ人のジムは、あっさり私にこう言いました。「ぼくはひとりでいたい時はウチにいる」ーー何かしらの解決方法というのはどこにでも存在するのだろうなぁと思ったのでした。

サンミケレまでがしがし歩いて、大きな木を見て、好き勝手に立ち止まったり回り道したりして、そうして少し自分をとりもどすと、またブラの喧噪の中に戻っていくのがうれしくなります。
静かな林の中の集落から戻ると、ブラがとても大きな「人の住む町」に見えます。
17時過ぎのもう暗くなっているブラの裏道を歩いていると、脇を通り抜けていく車がきゅっと止まって、友達のアントニオが「何やってんの、車で乗っけてってあげようか」と声がかかりました。いやいや、散歩してんのよ、大丈夫、とことわって、またねーと挨拶すると、やっぱり人がいて、助けてあげようかって言ってくれるのはうれしいものだな、なんて思うのでした。

「みんな」と「ひとり」の間の距離感がうまくとれるようになること、それがちゃんと「ここ」で暮らしていく術のような気がします。

散歩から帰って、サンミケレまで歩いたんだよーとパオラに誇らしげに報告してから速攻ソファーに倒れ込み、1時間ぐっすり寝て起き上がり、それですっかり元気になりました。

夜8時から、(またいつものブラのごとく)近所のおうちにパスタを食べにいって、「フトンとはなんだ」とか「タタミの上にフトンをしくのか」とか、「私の使っている毛布はフトンと呼べるか」とかわーわーと議論しました。
パオラとパオラのお姉さん家族とマリーナ夫婦で食事していたのだけれども、日本についての説明にはいつもいつも苦労させられます。東京のワンルームマンションに住んでいる友達が「そういえばもう1年ぐらい和室に座っていないなあ」って言ってたこととか思い出されるけれども、それを説明するには万と言う言葉をつくさないと説明できないような気がする。

イタリアは「日本ブーム」です。なぜこんなにも日本の外では「ニホンニホン」と言われていて、それに対して日本国内ではニホンとは逆行するような状況なのだから、(和食ブームと雑誌等でさわがれていても、実際は3歩歩けばパスタ屋なのだから)不思議なもんです。

パスタの後に生野菜をみんなでばりばりかじりながら、マリーナが目を輝かせて、「ラストサムライ」(こっちでは“ウルティモ・サムライ”)が映画館に来ているから見に行こう、ミノブ、映画がよくできてるかどうか教えてよ!と言い出して、いいわねとパオラが言うが早いか、「いつ行く?明日、明日行きましょうよ!」とマリーナが言うが早いか、速攻、私も次の日の夜に映画館に行くことになってしまいました。

12月に日本にいる時、ポスターは見たけれども、まさかこの映画を見ることになるとは、、。
トムクルーズがサムライになるって??
なんだか気が進まないなあ、なんて思いながら、それでも月曜の夜は、19時半ごろからパオラの作った豆のスープと私の漬けたサーモンのオイル漬けを急いでかきこんで、なんで休日に(パオラは日曜と月曜が休日、私もそれに合わせてなんとなく月曜は休日)こんなに急いでいるのか、とふたりで苦笑しながら晩ご飯を終え、映画に向かいました。遅れそうでも3分夜道を走れば映画館です。

20時から始まるラストサムライは時間がイタリアにとっては早すぎるせいか、客席には人もまばらです。
ラストサムライ、は見た人も多いと思うのでストーリーの説明はしませんが、基本的には明治文明開花の日本に、アメリカからやってきたトムクルーズがサムライの集落に住み着くことになってサムライになっていくというもの。。映画の声は全部イタリア語に吹き替えられているので、私には理解するのが難しいのですが、大筋はそういうことのようです。
渡辺謙や真田広之、見覚えのある「こゆき」という女優さんなど、なつかしい顔が見られるというだけで、私にとってはおもしろいもの。
イタリア人にとっては、サムライ村の子供たちがハシでごはんを食べたり、木刀でちゃんばらをしたり、山脈や寺が出てくるたびに、ガールダ、ケベッロ、、「見てよなんてきれいなの」とつぶやいたり、見るものすべてが新しく、おもしろいようです。

でもやはりハリウッド製の映画なので、サムライ村が襲われる壮絶な殺しあいシーンでは、観客が息を飲んでいて、隣に座っていたパオラは「バースター」(もうやめてー)と顔をしかめていたし、そのすぐ後の「小休止タイム」(イタリアではどんな映画でも途中で小休止が入るのです。。)になった時、ほおおおっと映画館中で安堵のため息がもれていました。

サムライ村の子供たちが日本語でトムクルーズに自己紹介をした時です。なんという名前だったか忘れてしまったけれども、「シバ」ーーでしたか??ーーとスクリーン上で子供が言うと、「シバ。。」と客席の中のイタリア人がリピートし、もうひとりの子が「●丸」と自分の名前を言うと、また誰かほかのイタリア人が、「●丸。。。」と不思議そうにリピートしているのが聞こえきて、なんともおかしなものでした。日本語のイントネーションが珍しかったのでしょうか。。

ハリウッド製映画とはいえ、なかなか考えされらるものがあるなあ、と思ったのが、この映画では日本が西洋文明をとりいれて和の文化を捨てて行く分岐点が描かれているわけで、ラストシーンのサムライ軍vs日本新政府の鉄砲隊の争いなどは、まさに「和vs洋」とも言えるし、その争いに勝った「西洋化した日本軍」がその後東洋で何をしたかということとか、刀や弓や、体のキレ、動きによって人を殺していた時代から文明の利器で大量に殺す時代に変わって行ったこと、などが思い起こされました。。

今私たちは日本的な体というものはほとんど失った状態で暮らしているけれども、そいういう非文明と言われるものの中にもすごいものがあったのだよな、とかいろんなことを考えたわけです。。

「ファットベーネ」かどうか、ウソが無くできているかという質問には、この山脈はどう見ても日本じゃないし、ヨシノの山の中に熱帯雨林に生えるようなシダの木があるし、色々ケチをつけられることはあるにせよ、よくはできていると思う、と答えておきました。ただひとつ私が嫌悪感を感じたのは、ラストの戦さが終わった時に、サムライの戦いぶりに敬意を評して明治政府軍の頭領がひざまづくと、ほかの戦闘員たちもいっせいにひざまづいてしまうシーンです。

頭領ひとりがそうするところまではわかるけれども、あれだけの数の戦闘員たちが「それにならって」ひざまづいてしまう様子は奇怪とも言えて、アメリカの製作意志としてそう作ったのだろう、ということに対する私の嫌悪感か、それともある時代までは本当にそうだったという事実や、日本が今でも「上にならえ」的な国であるということに対する、わが国の本質を見せられたことに対する私の嫌悪感なのか、よくわからないけれども、あのシーンは私にとっては後味の悪いものでした。

この映画を見る3日前ぐらいに、チルコロでおじいさんたちと食べていた時、あるおじいさんが「ナガサキヒロシマ、、」と私に言いました。すると、一緒に食べていたジョルジョが聞こえないほどの小さな声で ”meglio non parlare.. Perdiamo." メッリョノンパルラーレ、ペルディアモ「(戦争については)話さない方がいい。忘れよう」とつぶやいたことが思い出されて、映画館は若向きの映画ばかりやっていて老人は行けないよ、とちょうどその時話していたこと以上に、このラストサムライにはチルコロの老人たちは絶対行かないだろう、、と思ったのでした。

ちなみに、映画の中の「とうふ」はとってもおいしそうだった。。とてもリアルでした。梅の花は造花のように見えたけれども。。

日本では「ラストサムライ」はどんな風にうけとめられているのだろうか。
「パールハーバー」の時は、ほとんど日本側からの反論というものはなかったようだけれども、今回も「本国」のわたしたちからは「拍手のみ」なのだろうか。

この映画のせいなのかどうか、今年一番のニューヨークの流行は日本料理だ、とイタリアのラジオが言っていたそうです。日本と言えば「スシ、サムライ、芸者にキモノ」、(それに禅)、なんか「それだけじゃないんだよ」って言いたい気がする。

しかし、それだけじゃない、なら「何がある?」。

ーーに答えられるようなものを作りたい、です。

2004年01月10日

ブラにて

24日にこちらに着いてから早2週間が過ぎました。

道路の上にお花形の電飾がついている他、たいして変わりもないブラは、
クリスマスとお正月と1月6日のお祭りを終えて、1月9日の今日はようやく普通の生活に戻っています。

日本で走り回った1か月を終えて、12月25日には同居人パオラの家族と
ご飯を食べ、(こちらでは24日の夜ご飯より25日のお昼ご飯の方が大事だそうです)
パオラのお母さんとパオラのお姉さんと、そのだんなさんと8歳の息子のキキとぼおっとソファでテレビを見て、もちろんその前にクリスマスのごちそうを食べて、それももちろんおいしかったのですが、
なんだかこうしてみんなでぼおっとテレビを見たりすることが、かけがえもなく大切なことのように思えました。

美容師のパオラは、年末の忙しさとこのクリスマスランチの準備で疲れぎみ、
(少しずつ少しずつ作って、1週間はかけています。)
私の方は、日本とイタリアの行き来や寝不足でぐったり、その後の2、3日は
なんとなくぐったりして、クリスマスって晴れた空を見ながら
ぼおっとする、こんなものだっけな、なんて思いました。

疲れている時に無理して何かをするとうまくいかないものだけど、
体がすっかりよみがえる前に、日本から持ってきた外付けハードディスクを
コンセントに差し込んでみたところ、白い煙が出てきたではないですか。
後で、 “Mia cavo ha fumato.." ミアカーボアフマート、私の電気コードが
煙を吐いた、とイタリア人に言ったら、何のこっちゃと笑われました。

日本から持っていった電気製品を使うのに、変圧器をかけるなんて全然知らなかったのです。
とにかく、ハードディスクの中のデータが死んでいないことだけを祈りつつ、
変圧器を持っている日本人を探しました。。

何はともあれ、まずはミラノに行って、滞在許可証の申請に行かなければなりません。
なんせ到着後8日経てば、受け付けてくれないのですから。、
ミラノの空港からブラへやって来たのに、またミラノへとんぼ返り、電車でトコトコ、雪の降る日曜日に都会へ向かいました。

ミラノのクリスマスはそれなりに盛大だったのでしょうか。
大通りにはブラの電飾よりも大きくて美しいものがぶらさがり、
日本ではお正月の呼び込みの時期だよなあ、なんて思いながら
こちらのクリスマスが12月末までにも後を引くのが不思議なかんじです。
いつまでもサンタクロースや、クリスマスツリーが飾ってあるのですから。。

ミラノの私の“お世話係り”は小さな宿をやっている「ヴァレンティーナ」です。
「ミノブはどこにいるんだか全く予想がつかない」と言いながら
彼女の家の鉄格子の扉の前で出迎えてくれました。相変わらずそうじと洗濯と
英語でかかってくる予約の電話にてんてこまいです。

滞在許可証は、ラッキーなことにも入国管理局で
3時間ぐらい待つだけで終わりました。手のひらにインキを塗られて、スタンプさせられるのは初めての経験で、とても嫌なものだと思いました。アラブ系の人やアフリカ系の人、ルーマニアの人、家族連れや夫婦たちが管理局で列を作っています。

そして変圧器の問題と、それから「かぼちゃ」のイタリア語翻訳をやってしまわなければなりません。
なんてったって、チネマコルトinブラのしめきりは12月末、それが1月末に伸びたとは言え、のんびりしてると何も終わらない。
でも、半徹半徹でイタリアへ飛び入った私に、映画祭のダイレクターのステファノは
「急いで作るより、ゆっくり作っていいもの出してもらった方がいいから
もう徹夜しないように」、と久しぶりに会って話した夜に言いました。

イタリアっぽいよねー、そういう考え方、なんて思いながら、ちょっとにんまりし、
でも徹夜しないと集中できないこともあるし、
そして同時に、確かにゆっくり作った方がいい時もある。

ぐっと日本でがんばった後にこちらに来たのは、そういうゆっくりした中で
どういう風にものが作れるか、試してみたかったのもあります。

だから「あせるな、あせるな、、、」
と思ってるんだけど、さすがにコンセントから煙が出たり、メールがつながらなかったり、更にはコンピューターの再インストールディスクが1枚足りなかったり、
いろんなことが起こると、ちょっと大丈夫かしら、と思います。

新年あけて、もう一度ミラノへ行き、日本人のマックユーザーの方を探し出して、
なんとか再インストール問題を解決しました。
そして「かぼちゃ」の翻訳も、知人の紹介で初めて会った「キアラさん」にすぐさまやって頂き、なんと変圧器は彼女がかしてくれました。煙を出したコンセントは代わりのものを日本から送ってもらうことになりました。そして、最大案件だった「プロジェクター」、電気工の「ベッペ」が一緒に隣の街まで明日見にいってくれます。
ゆっくりだけど、進むときはぴゅっっと進む、イタリアのこのオーガナイズ方式が
ようやくまたじんわりと身にしみてきたところです。。


明日から1日2日、ブラから逃げて、
近くの田舎で集中しようと思います。

ブラに来ると、しょっちゅう誰かとご飯を食べて話しばかりしているような
かんじです。誰や彼やが周りにいて1人の時間がなかなかとれません。
パオラがうちにいればパオラと話してしまうし、夜は夜で、街の老人会ーーチルコロ・コットレンゴ、というブラのコットレンゴさんという人が昔作った「集会センター」のような所で一人暮らしのおじいさんたちが毎晩ご飯を食べているのですーーへ行って、
、、とにかくいつもご飯を食べているのです。


といっても、「ごはん」めし粒、はあんまり食べていません。
パスタやサラミやチーズやワインを、ブラの人たちは多く食べているので、洋食が体に合わない私はいつもおなかをこわしてしまいます。

クリスマス、年末と、お腹を下しきった果てに、自分の料理したものと自分の体に合うものをちゃんと選んで食べよう、と決意しました。たとえみんなと一緒に食べていても、です。そうじゃないとここで生きていけない。。。
というわけで、チルコロに行くときもびんづめのツナを持っていったり、パオラと食べるときもみそ汁を飲んだりしています。
お正月はこぶ巻きと栗きんとんと黒豆の代わりにひよこ豆をゆでて食べました。

いろいろな人と再会して、やっぱりうれしかったのは、チーズ屋のジョリさんや
電気屋のアルマンドや、若い友達のフランチェスカやコリーナが、みんなみんな会って喜んでくれることです。
この街にはいっぺんに連絡しきれないほど知り合いがいるけれども、歩いていればみんなに少しずつ会えるだろう、、とゆっくり考えています。
ジョリさんは年末の忙しさと寒さで持病の腰痛がひどそうだし、アルマンドもクリスマスのプレゼント交戦ででお店が大変だったそうだけど、新年はみんな休養したのではないだろうか。。。


さて、夜は9時15分、パオラが近郊のトリノから帰ってきて
夜ごはんを食べはじめました。私も何か食べよう。。
彼女は一週間に3回はトリノへ車で出かけて、カウンセリングを受けています。
私は明日がはやいので、そんなにたくさんは食べないつもりだけれども
お腹が空いているので食べてしまうかも。。乾燥きのこを水にひたしておいたので
スープを作って、パオラのじゃがいもピューレをもらいます。
それだけにしなければいけません!チーズとかワインはしばらく禁!です。

おやすみなさーい


みのぶ


その後追記

そして結局食べたものは、、

1 パオラのじゃがいもピューレー(いわゆるマッシュポテト)
2 パオラのおかずの蒸した冷凍魚、と昨日の老人会の残りのサラミ1枚
3 パオラの常備食 オリーブオイルで練ってある、パンみたいなさくさくしたもの
4 朝ご飯に食べる用のビスコッティ2、3枚(ラスクみたいなもの)
5 生のにんじん、ナイフで削ってがりがりと
6 だしとしょうゆにつけておいた生タマネギ
7 食後に殻付きのクルミを割って食べた
8 りんご
9 お茶

要するにお腹も空き過ぎて、そして時間も遅すぎて、
麺やごはんを用意する間もなく、ほとんどパオラのおかずをもらって、
いろんなものをつまんでしまったのでした。
食べながら、同じく腹ぺこのパオラと(彼女は仕事のある日は忙しくて
ほとんど昼ご飯が食べられない)
精神的に状態が悪いとはどういうことか、なんてディープな話をしながら
何だかもりあがって、何を食べているのかさえよくわからなかった。。


いちばんおいしく感じられたのは、マッシュポテトと
今日市場で買った殻付きクルミでした。
キロいくらだったか忘れてしまったけれども
スーパーで売っているものより格段においしそうだった。
こちらではよくみんな殻付きクルミを殻割りパンチで割って食べています。